ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
[1058238hit]

■ 然かざりき/ブラバン/ひばり/ゴリのケンケン
もっぱら肺活量のトレーニングに励んでいたという。
 二人の勇姿をみた数日後、与太郎はともかく楽器を始めたくなって、
器楽部を訪れた。ゴリが最初に手渡してくれたのは、汚らしい洗面器の
ようなバス・チューバであった。そのまま家に持ちかえって、風呂場で
洗ってみたが、どこにも光る部分がない。吹いてみると、あちこち空気
がもれている。
 あてがわれた楽譜は、いかにも単調で「ブッ・ブッ、ブッ・ブー」の
繰りかえしで全曲おわってしまう。
 新米だから、しばらく練習してみることにしたが、ゴリには他の楽器
をたのんでおく。ゴリの判断では、どうせ途中で退める者がいるから、
そのつどマシな楽器と取りかえればよい、という。
 吹奏楽の経験がない人には分らないが、たとえば《軽騎兵序曲》のよ
うな名曲でも、ほとんどのメンバーが担当するのは、この程度の役割に
終始して、わずか数人の花形が華麗なるメロディを奏でるのである。
 そもそも吹奏楽は軍楽隊のための、非民主的な階級集団のものである。
これにくらべると管弦楽は、他声多重の役割に分担されていて、かりに
休止符がつづいたとしても、それは意味のある沈黙として尊重される。
 やっぱりクラシック音楽か、と考えざるを得ない。
 しかし、オーケストラを作ることなど途方もないことだから、当面は
ブラスバンドに加わって個々の楽器をいじってみることにした。
 木下聖治や有賀誠一を誘いこんで、数回の演奏会や野球の応援などに
参加した。木下はすぐに厭きてしまったが、むかしヴァイオリンを習っ
てものにならなかった有賀は、クラリネットに興味をもった。そして、
フルートを手にしたとき、はじめて手応えを感じたのである。
 すでに一年生の夏休みに、与太郎はヴァイオリンを手に入れることに
成功していた。両親の不和に乗じて策略をめぐらし、周囲の反対の中で、
とにかく抱えこんだ(金四千円也)。
 両親は、ヴァイオリンやLPレコードの音が、隣家の迷惑にならない
よう注意するだけで、決して議論の対象にはしなかった。悪性の疫病に
息子がとりつかれた、と信じているかのようだった。
 大人たちが期待していたのは、すぐに挫折して、本来の勉学にもどる
はずだった。十六歳にもなって(教室にも通わず)独学で弾けるわけが
ないと考えたのである。しかし一週間後に、訪ねてきた有賀が叫んだ。
「あれれー、鳴っとるやないか」
 
 
 ひばり
 
 与太郎の左アゴには、傷痕がある。真夏にヴァイオリンの顎当を抱え
こんで汗をかいたところに、ニキビが生じる。そのニキビをすりつぶし
て弾きつづけた結果である。
 秋をすぎる頃には、ショスタコーヴィッチ《ヴァイオリン協奏曲》の
第二楽章・夜想曲など弾きはじめるほどに上達していた。独学だから、
スコアを買って写譜すれば、誰にも咎められることがない。
 訪ねてきた叔父に一曲聴かせると「娘にも習わせようか」という。
「それはいかん、このように顎が破れて、歯ならびも悪うなる」
「そうか、それでは嫁にやれんな」と、叔父は帰っていった。
 金谷先生の家にも押しかけて、《タイースの瞑想曲》を聴かせた。
 先生は、当初から反対論者であるが、兄上はほめてくれた。
「きみ、そのくらい弾けると、ラジオもレコードも要らんな」
「やっぱり、音楽は聴くほうが、うまい」
 ベートーヴェン《スプリング・ソナタ》が弾けるようになると、有賀
君にピアノ伴奏をやらせてみた。有賀家に上がりこめば、ピアノ教師が
二人も住んでいるから、どちらかが面白半分でも伴奏してくれるのでは
ないかと期待したが、ついに相手にされずじまいだった。
 つぎに、本宮先生の指揮するジュニア・シンフォニーに招かれるには、
先生の辛辣な皮肉に耐えるにも、あるいは、自前のオーケストラを組織
するためにも、どうしてもチェロが必要だった。
 ようやく(母をあざむいて)チェロを手に入れる(金二万円也)。
 器楽部と別に弦楽同好会を設立、竹内康・須磨章彦・福地公直の三君

[5]続きを読む

01月01日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る