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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 読後の感想を語る会 〜 芥川 竜之介 〜
   と云いいたければ、どうおさえてもおさえ切れない。
阿波 結局純粋になる事だと思います。
 
 ◆ 結末についての批判
 
阿波 私は杜子春が人間らしい性質にかえってからの文章(特に結末)
   に物足りないものを感じますが。
和田 「禁じられた遊び」ででも何か中途で終った様な感じでしたが、
   この物語もこの後の杜子春の生活については、作者は読者に考え
   させようとしているのではないでしょうか。
今村 あともっと続けると、この物語の中心がぼけるので後は読者の考
   えにまかせてあると思います。
高島 だから後はなくてもいいというわけね。しかも短編であるからそ
   れて目的を達したという所ね。
阿波 僕がもしこの本を書いたら最後の「桃の花のさく家を杜子春に与
   えた」という所ははぶきます。この事が意味することは人間ばな
   れのした生活をする事だと思う。それよりも杜子春をもう一度人
   間の世界にほりこんで人間の生活をさせる方がよい。それで最後
   はいらない。
竹内 僕も今の阿波君の意見に賛成です。杜子春は最後には精神的に幸
   福ではあるが、はたしてそれだけで安楽な生活ができるかどうか
   疑問だと思います。「人間らしい正直な生活をする」という所で
   切るほうが、最後をつけるよりも力強い感じがしますね。
高島 もう一度人間の世界にほりこむのね。
竹内 杜子春を再び人間の社会にもどすということは歴史の流れの中に
   もどすことだと思いますが、人間は生まれながらに歴史に属して
   いるのですから、もう一度社会にもどすことは必要なことと思う
   が、このままだと何だか空想的で現実性が乏しいと思います。
松田 人間らしさという事の一つに、愛情ということがありますが、杜
   子春がもう一度人間社会にもどって愛を広めるという結論にもっ
   ていけばよかったと思いますが……。
内村 杜子春は精神的には安楽だが、だからと云って生活そのものが安
   楽なものとは限らない。もし精神的に幸福な事が安楽な生活とい
   うことに通じるなら、この物語は物足りないと思う。再び社会に
   出て苦労をしていくところに良い所があるのではないのですか…
   …。
 
 ◆ 人間の姿は?
 
高島 愛情を持った人間の姿が人間本来の姿か、それとも薄情で利己的
   なものが本来の姿でしょうか。
北村 愛によって生きていくのが人間本来の姿で、欲望が多い人間は普
   通の人間と思う。
和沢 人間は何かの動機(きっかけ)がある迄は欲望の多いものである
   が、やはり本当の姿は「お母さん」といった心だと思います。
今村 僕も人間の本当の姿は生まれた時から持っている良心を生かした
   人間、これが人間本来の姿だと思いますが。
高島 仙人が『「お母さん」といわなかったら杜子春を殺した』と云っ
   たのは何を覗わしていますか。
和田 作者の云いたいことは利己的な考えを持っていた杜子春が、母の
   言葉で本当の人間の姿にかえるということを、強調したかったの
   ではないかと思いました。
加藤 杜子春が「お母さん」という場面は、杜子春が愛情と物質のどち
   らかをきめた場面だと思いました。
今井田 最後の方の文章は「お母さん」と呼ぶ場面を強調するために持
   ってきてある。
 
 ◆ 他の作品について
 
司会 では芥川の他の作品とか特長について。
竹内 「かっぱ」等代表作品の一つですが、杜子春とは全然違った味の
   ある作品です。
阿波 「芋がゆ」「くもの糸」等非常に興味深く読めます。
河原 杜子春も受けとり方がいくらもあって非常にむつかしい。
和田 芥川の作品一つ一つは、非常に深く社会を観察していると思う。
竹内 彼自身は自分が持っているのは神経だけだといっているが、そう
   いう所が芥川の特長となってあらわれている。
内村 芥川の初期−中期の作品にはエゴイズムをあつかったものが多い。

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07月11日(月)
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