ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
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■ 旅のしおり 〜 余太郎の出処進退 〜
 東京中心地概略   地図 ……………………………………………………… 30
 日比谷交叉店上空から 有楽町・銀座・築地あたりをのぞむ ……………… 31
 編集後記      ……………………………………………… 阿波 雅敏  32
 修学旅行写真展 作品募集  ……………………………………………………  33
 
── 《旅のしおり 19540427 同志社中学校 修学旅行委員会》版芸舎・印刷
 
19540427 10:00  京都駅正面東寄広場集合 
19540428     箱根 小湧園
19540429 16:00ca 東京 章文館
19540429     東京 つたや
 

 
 金谷常延氏の奥さんから、印刷代金のうちリベート二千円を渡される。
 中学生の身分で、いわば公務として発注したことであり、受けとって
よいかどうか、むずかしいところだが、先生兄弟が相談の結果であろう
と解釈しておく。一方の解釈は、すでに与太郎は各種の印刷物を請負い、
定期的に法人の株主総会議事録など、いっぱしの経済活動もしていた。
 しかし、このときの判断は、いまもゆらいでいる。
 
 翌年も公安委員に選ばれたが、新聞部に専念するため辞退する。残る
一年、生徒会執行部には距離をおいて、いわば野にくだった。
 新聞部長・編集人となっても、実際に紙面を統括するのは顧問の先生
であり、わずか春秋二号の断片的な原稿を割りあてられるだけである。
図書委員会と宗教部で、それぞれ広報紙を創刊して、しばしば座談会を
もうけ、出席者として自由に発言するほうが、はるかに合理的であるこ
とが分った。
 公安委員長には、当初から本命であった吹田秀雄君が就任している。
彼は、高校に進んでから選挙管理委員長をつとめた。
 中学時代の友人は、地歴部・図書委員会のグループと、宗教部・執行
委員会のグループに分離していたが、そのおおくは高校にすすんでから
文芸部・器楽部いずれかに関連することになる。
 しかし、河原満夫・内村公義・木村祥子など、純粋培養の秀才諸君は
将来の職業が限定されていたためか、結果的に受験グループに属して、
疎遠にならざるを得ない。
── 《虚々日々 20001224 阿波文庫》P46
 
(20090430)
 

04月27日(火)
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