ID:87518
与太郎文庫
by 与太郎
[1053262hit]

■ 山びこ学校
 どうも長い、繰言のような格好になって了いそうです。今日はこれ位
ひにして失礼します。たゞ私の思ひつきをいろいろと書いてすまないと
思ひます。御父様や御母様によろしく御伝え下さい。いつも何かと御心
配をかけ、御礼の申しようもありませんが──
 でわ 六年生の皆さんにも 入院した事について誤解されないよう、
かえって希望の光がつよく先生の身体と心を温めていて呉れているとい
うことを御伝え願いたいと存じます。どうも有難う。ぢゃさようなら
 
── 山間の学校は、この春、八人の小学1年生を迎えた。昨年四人、
一昨年が五人、2年生との複式学級が続き、4年ぶり、1年生だけの教
室が戻ってきた。文集「山びこ学校」を生んだ無着成恭先生と四十三人
の子どもたちの母校、「山元小・中学校」は小さな学校に変わっていた。
 終戦後、この中学校で、2年生の作文や詩を集めた文集がつくられた。
貧乏に向き合い、生き方をさぐった作文が心をうった。昭和二十六年に
出版されるやたちまちベストセラーになり、当時の文部大臣もやってき
た。戦前の教育が否定され、新教育への模索が続くなかで、この生活綴
方は山の学校を戦後教育の“メッカ“に押し上げた。
 カヤ葺きの寒村の学校は、戦後の一時期、四百人もの子どもでふくら
んだ。しかし先生がいない。代用教員が入れ替わり立ち代わり教壇に立
った。師範出の無着先生の着任は夢のようだった。「なにしろ元気がよ
くて、熱心でね。足りない備品は泊まり込みで作り、腹が減れば裏山の
墓地の供え物を川で洗って食べさせるメチャクチャなんだ。だけどその
熱意にひきつけられた」と村に残ったクラス代表の佐藤藤三郎さん(6
3)は振り返った。教育課程も試案、教科書もそろっていない。混迷だ
ったからこそ無着流の人間教育が息づいた。
 「雪がコンコンと降る 人間は その下で暮らしているのです」(石井
敏雄)。3行の詩は寒村のいまを訴えた。「僕の家は貧乏です」と書き
だした作文「母の死とその後」(江口江一)は文部大臣賞に選ばれた。
── 山本 稔《名作散歩 199809・・ 東京新聞&中日新聞》http://www.zusi.net

10月30日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る