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与太郎文庫
by 与太郎
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■ 皇室神話 〜 神代と史実の分岐点 〜
第二に、神話の生成の過程を考えて見よう。既に歴史で学んだように、縄文式文化、弥生式文
化のころの日本民族は、血縁を以て集る氏族生活を営んでいた。そしてその各々の民族には夫々
独特の伝承があって、之が各民の神話を形成する。更に生活が進展して血縁を中心とし而も地縁
が加味されて、より大きい集団が出来、小部落国家が形成された時には、矢張りその小国家の夫
夫に神話が生れる。更に時代は進展して国家が次第に大きくなり、遂には日本全体が統一される
に至った。その際に中心的役割を演じたのが大和朝廷即ち皇室である。
かくて、統治者となった大和朝廷は、自らを権威づけ栄光づけて、国家の統一を保持し、更に
強化する為に自らの伝承を中心とし、之に併すに氏々、国々の伝承、更には外国の神話をも包摂
して、天照大神が皇祖であり、その皇祖と国士とは同一神から生まれ出た兄弟であり、代々の天
皇は皇祖の神勅によって国士を統治する機能を有し、その皇統は尊厳にして且つ永遠なものであ
るとの根本思想を以て貫かれた一連の神話体系を形づくった。それが所謂古典神話といわれてい
るものである。
第三に考えなければならないことは、斯くの如くして括りをもつに至った神話が如何に拡大さ
れて行ったかということである。既述の如く古典神話は皇祖たる天照大神を中心としているが、
大神の出現を説明山来る神話例えば伊弉諾神、伊弉冉神二神の国生みの神話の如き、時代を上に
遡って生み出されたものがある。之を遡及的拡充と云うのに対し、他方では主として国々、氏々
の神話的伝承を通じて拡大された所謂下限的拡充或いは後期的拡充がある。
かくて、皇室の統治の強化及び範囲の拡大するに伴って、皇室に固有の神話体系を中心とする
ものが恰も民族的若くは国民的信念であるかの如く観じられるに至ったのである。
このように考えてくると、厳密な意味では、古典神話と日本神話とは、全然同一のものである
とは云われぬ訳である。この点を強調じて一部の人々は「古典神話は皇室が中心となり、それに
仕える一部の特権階級の人々によって全面的に欺作されたものである」と云う。しかし、よく考
えなげればならぬことは、古典神話の中にも、民族的乃至は国民的神話もかなり包含されて居
り、純然たる民族的、国民的な精神的及び物質的生活が窺われるというごとである。
次に第四として重要なことは,日本神話は世界神話の一環とLて観ずることは肝要であるが、
殊に日本においては今迄何故に神話と歴史とが混同され勝ちであったのであろうかということで
ある。日本の神話は他国のそれに比し、その中心をなした皇室神話が、統治者のもつ伝承とし
て、統治権能の由来を説明することを主眼とし、その拡充もその線に沿って行われた。更に我が
国においては特に祖先崇拝の風が強かったので、祖先の活動の回想意識が自ら強く、叉神が著く
入間的であった為に、神話と歴史とが混肴される可能性が大であり、更には日本人の通弊と云
われる学的軽卒から自分勝手に神話を全面的に史実視したり、或いは事実の無視を敢えて行い、
ここに不当な栄光づげや蔑視がなされるに至ったのである。
しかし幾多時代の変遷、人々の種々な解釈法には関係なしに、神話はその真実の姿を卓然とし
て現わしている。而してその真相を把握出来るか否かは、一にかかって各人が各人のもつ色眼鏡
を捨てて、無色透明な純な心に立帰って、それに接せんとする努力如何にあると云うことが出来
るであろう。こうしてこそ初めて上代の人々の精神生活、物質生活を追体験することが出来、神
話が上代の人々の文化記録であるということを真に了解し得られるであろう。
去る八月四日から六日迄の間、志摩郡の答志島和具に行って、緑の島、碧い海、紺背の空の、
文字通り麗しい自然に恵まれた島での生活を満喫して、些さか寿命の延びる想いをしてきたが、
その間終始お世話下さった橋本という一漁師が、こんなことを言われた。「昔、天照大神が天岩
戸にこもられて天地が暗闇になったとき、天佃女命が舞い、手力男命が戸を閲けて大神をお出し
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02月08日(土)
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