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与太郎文庫
by 与太郎
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■ ガルシア=マルケス 〜 19280306 Colombia Mexico 20140417 86 〜
ウィリアム・フォークナーから多大な影響を受けた。フォークナーはヨ
クナパトーファ・サーガと呼ばれる作品群で神話的イメージと重ねあわ
せつつ、戦争の傷、近親相姦といった聖と俗が交差するモチーフにとり
組んだ(サーガ=一族や国家の歴史の物語、長大な物語)。その一作
『響きと怒り』では、人物の内面を絶え間なく追う「意識の流れ」と呼
ばれる手法を用いた。神話性を帯びた場所の創出、実験的手法への関心
という点で同じくフォークナーに影響を受け、ガルシア=マルケスに自
身との同時代性を見出した作家が、日本にいた。大江健三郎、中上健次
である。
今回の文庫解説を務めた筒井康隆は、虚構以上の「超虚構」を突きつ
めた時期にラテンアメリカ文学への関心を深め、『虚人たち』(1981年)
、『虚航船団』(1984年)を執筆した。それに対し、大江健三郎は、本
人の故郷を着想源とした四国の谷間の村を舞台にした一連の小説を執筆
するなかでラテンアメリカ文学と出会う。日常化したものを新奇なもの
のごとく描き表現のルーティン化を避ける異化、対象の格下げによる笑
いなど民衆的・祝祭的なイメージ・システムによるグロテスク・リアリ
ズムといった手法への関心を高めた大江は、魔術的リアリズムのガルシ
ア=マルケスにも興味を持つ。そうして彼は、四国の山奥で二重戸籍の
仕組みを作り政府に抵抗した「村=国家=小宇宙」の神話と歴史を語る
『同時代ゲーム』(1979年)を執筆した。
筒井がSFから純文学へ、大江が純文学からSFへ接近し2人が交流する
ようになった時期の共通項が、ガルシア=マルケスだった。『百年の孤
独』が、エンタテインメント性と実験性をあわせもっていたために2人
を媒介することになったのだ。当時は、東北の村が吉里吉里国を名乗り
独立を宣言して大騒動になる『吉里吉里人』(1981年)を発表し評判に
なった井上ひさしも、2人と近い位置にいた。同作にも『百年の孤独』
の影響はみられた。
この時期には、天井桟敷を主宰するなど演劇活動で気を吐いた寺山修
司が、日本を舞台に『百年の孤独』を映画化する動きも起きる。結局、
ガルシア=マルケスの映画化拒否で原作クレジットは外されたもの、
『さらば箱舟』のタイトルで1984年に公開された映画は、村の一族の100
年を超現実的な時間感覚で描く大枠を原作から受け継いでいた。
また、やはり自身が生まれ育った紀州熊野の路地を舞台にした作品を
多く執筆した中上健次は、1985年に行った村上春樹との対談で「だから
マルケスと僕なんか、フォークナーの落とし子みたいなもんです」(中
上健次『オン・ザ・ボーダー』)と語っている。それに対し村上は、ラ
テンアメリカ文学は『蜘蛛女のキス』のマヌエル・プイグ以外は「僕は
意外に好きじゃないですね」と話していた。中上は、老婆の回想によっ
て路地の若者たちを描く『千年の愉楽』(1982年)に「天人五衰」とい
う三島由紀夫の小説と同じ題の章を設けた。中上の紀州熊野サーガのな
かでも、魔術的リアリズムがうかがわれる同作には、フォークナー的な
着想の下でガルシア=マルケスと三島を出会わせたような趣がある。
「意外に好きじゃない」といっていた村上も、『羊をめぐる冒険』(19
82年)で北海道の十二滝町という架空の土地の歴史を語る章は、一連の
サーガのパロディのようであったし、影響には広がりがあった(村上は
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で謎めいた街を登場
させたが、それは一個人の心象であり、大江や中上などのサーガとは性
質が違った)。
そのような日本作家の応答がありつつ、『百年の孤独』はこの国でも
名作とみなされるようになった。以後もしばしば同作に触発された小説
は書かれている。千里眼の祖母など、製鉄業で財を成した旧家の三代の
女性たちを追った桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』(2010年)は、魔術的リ
アリズムの幻想性とミステリ的な仕掛けを融合した力作だった。
古川 日出男と阿部 和重も、フォークナー、大江健三郎、ガルシア=
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03月06日(火)
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