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与太郎文庫
by 与太郎
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■ アイーダ大行進 〜 京大人品研究所 〜
大事な先生を勝手に引っぱりまわして「なにさ!」と思ったのだろう。
そのあたりの、もやもやした女心は、甘太郎にも分らぬわけではない。
いささか彼女に悪いことをした、という殊勝な気分として残った。
そういうあとで、河原町から祇園への移転話が、ふってわいた。
きけば、その場所は、クラブ・紺といそむらの入っているビルの隣に
なるらしい。勝きぬの知りあいで、天麩羅屋を始めるついでに、ビルを
新築したので、二階をそっくり酒場にするというのだ。
そこで甘太郎は、案内状や封筒やマッチなど、一通りの印刷物を引き
うけてやった。常連客が引きうける場合は、代金を請求することもあり、
請求しない場合もある。要するに現金のやりとりはしないのだ。
もうひとつは、ほとんどの常連客は、資産の有無にかかわらず、つけ
を溜めていてこそ一人前である。いつも現金で払う客は律儀なだけで、
肝心なときに「助けて」といえる甲斐性がないから、格式が低いのだ。
いよいよ店の移転が迫ったころ、甘太郎はママに電話をかけた。
「ぼくのツケは、なんぼくらいや?」「カタテ、ぐらいやな」
不案内な人は、どうして彼女が即答できるのか、不思議に思うだろう。
当時のカタテ、とは5万円。25才の標準の月給なら二月分、50才
の平社員の一ヶ月分に相当する。この概算方法は(1965年ごろ)甘太郎
が編みだしたもので、一歳あたり千円とみなす。
移転にさきだって、若いホステスが独立することもあった。
そこで甘太郎は、気前よく彼女に行った云った。
「よーし、ぼくのつけをぜーんぶ君の店にプレゼントしよう」
当のホステスは即座に「要らんわ、そんなもん!」と断わった。
ママは「そやなぁ、若い店に、みんな取られるかもしれんなぁ」と、
感慨深く反応している。
そして、甘太郎は十万円をつつんで、古手のホステス(カウンター)
にことづけた。「これ、ママに渡しといてくれ」「はいはい」
偶然ママの留守に封筒を渡すのは、ちょっとしたスリルがある。
一つの可能性は、受取も領収書もないのだから、古手の彼女が棒先を
切るかもしれない(京都弁ではチョロマカス、などという)。
もう一つは、他のホステスに知られて、見せびらかすように思われる。
ひとつ間違えば、とても野暮な誤解を生じる、きわどいやりとりだが、
このときは何もかもうまくいった。彼女は、他のホステスにそしらぬ顔
で預かってから、ママに渡したので、甘太郎の真意が伝わった。
このときばかりは、心をこめてママが感謝してくれた。
「他の客は、あやこや云うばっかりで実がないけど、あんたは違うたな」
ここぞという金の要りようは、商売をする者にしか分らないものだ。
数ヶ月もたって、新しい店が落ちついたころ、何も知らされていない
はずのミヤさんが、はじめてこう云った。
「ママが、誰や思うて聞いたんや。つけの二倍も先払いしてくれたんは」
「誰や、そんな奴は」と、甘太郎もとぼけて聞きかえした。
「えぇとこあるな、あんたも」と、ミヤさんはほめてくれた。
もちろん、さきの印刷代など、いっさい請求することもなかった。
はじめて新しい店に、楽器屋の課長と、ヴァイオリン教室の先生とを
案内したのは大失敗だった。仕事の話のつづきで遅くなったので、酒を
酌み交わす仲間でなかったからだ。
やがて「もうそろそろ」と、遠慮がちに催促されるようになった。
羽振りが悪くなって、つけが溜まりはじめ、さらにはママも背に腹を
代えられなくなったのにちがいない。
ミヤさんが「カメラを月賦で買いたい」といいだした。
「カラダで払うてもらうで」と冗談をいったが、羽振りが良ければタダ
でくれてやるところだ。もはやこれまで、とっくに潮時がきていた。
(20060927-0928)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19970917
敗者の条件 〜 アイーダ先生との対話 〜
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03月05日(日)
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