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Kenの日記
by Ken
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■ピアノ三重奏曲
チャイコフスキーの室内楽にはまっています。有名どころとしてまず弦楽四重奏曲、弦楽六重奏「フィレンツェの思い出」、そしてピアノ三重奏「偉大な芸術家の思い出のために」をIPODに入れて聞いています。これらは近くの図書館から借りてきた「ボロディン弦楽四重奏団」「スークトリオ」の演奏です。
これらを聴いていて大昔に放送されたアルゲリッヒの演奏がビデオテープにあったことを思い出して探し出しました。1998年5月19日に墨田トリフォニーホールで行われた演奏会の録画です。出演はアルゲリッヒ(当時57歳)のピアノ、クレメル(当時51歳)、マイスキー(当時50歳)の3人です。演奏曲目は、ショスターコーヴィッチのピアノ三重奏曲第2番ホ短調、チャイコフスキーの「ピアノ三重奏曲イ短調作品50《ある偉大な芸術家の想い出のために》、当日のアンコール曲の「タンゴ・パセティック」でした。さっそく映像を見ながらテープからHDDにダビングしました。
アルゲリッヒとクレメル、アルゲリッヒとマイスキーのドュオは沢山の録音があるようですが、3人がトリオを組んだ記録はこれが空前絶後のようです。とにかく1998年当時も現代でもトップレベルの音楽家ですからスケジュールを合わせるのは苦労するはずです。1998年の演奏会は3人に関係の深かったマネージャーの仕掛けだそうです。残念ながらそのマネージャーさんは演奏会の時には亡くなっていたそうです。
この3人は以外な所に共通点があえうことを知って驚きました。1941年生まれのアルゲリッヒの母親は旧ソ連の「ベラルーシ」からアルゼンチンに逃れたユダヤ系移民でした。彼女の生まれたブエノスアイレスは南米最大のユダヤ人社会を持つ都市なのだそうです。クレメルとマイスキーはともにラトビア(旧ソ連)のリガの生まれです。クレメルの両親はドイツ系ユダヤ人の音楽家で父親はホロコーストの生き残りだということです。ソ連でオイストラッフに師事して国際コンクールで優勝した後の1980年冷戦の渦中にドイツに亡命しました。マイスキーは「リガ」のユダヤ人の家庭に生まれました。マイスキーは反政府派のロストロポーヴィッチに影響を受けていますし、姉がイスラエルに亡命したことによってソ連での立場が悪くなったりして1972年に国外移住が認められて米国に移りました。ということでこの3人はロシア系ユダヤ人という共通点を持っているのです。
1998年5月の演奏会で演奏されたショスタコーヴィッチのピアノ三重奏曲は3楽章にユダヤ教の旋律が使われているのだそうです。この曲は若くして亡くなったショスターコービッチの友人の作家に捧げられています。とても激しい悲しみを表現しています。このかなり重い曲の後に、長大な「偉大な芸術家の思い出」が演奏されています。この二つの鎮魂の曲をアルゲリッヒ・クレメル・マイスキーが全霊を込めて演奏しています。演奏する3人の思いはそれぞれ違うとは思いますが、感情の高ぶりがあっても全く揺らぐことの無い技術力は凄いです。こういう芸術家が実際に演奏している時代に生きていることが誇らしくなります。
02月12日(木)
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