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Kenの日記
by Ken
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■スカラ座の「アイーダ」
ミラノ・スカラ座の日本公演の「アイーダ(演奏会形式)」をNHKの放送録画で聞きました。指揮はグスタフドゥダメル。歌手陣は以下でした。
エジプト王:ロベルト・タリアヴィーニ(バス)
アムネリス:ダニエラ・バルチェッローナ(メゾ・ソプラノ)
アイーダ:ホイ・ヘー(ソプラノ)
ラダメス:ホルヘ・デ・レオン(テノール)
ランフィス:マルコ・スポッティ(バス)
アモナズロ:アンブロージョ・マエストリ(バリトン)
使者:ジェヒ・クォン(テノール)
巫女:サエ・キュン・リム(ソプラノ)
合唱:ミラノ・スカラ座合唱団
管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団
指揮:グスターボ・ドゥダメル
舞台で演じている歌手がそのまま演奏会形式になると「舞台版より冷静に音楽に神経を集中できるだろう」という見方と「やはり演技があるから歌も良くなるので演奏会形式は舞台版より劣るのでは?」という見方があります。その見方は両方正しくて場面によっては舞台が欲しいという場所もありまいした(最後などはその例)。総じて演奏は非常に引き締まっていて歌手陣の充実もあって非常な名演だったと思います。(それにしてもマエストリの存在感は凄い)
世界屈指の伝統を誇るスカラ座が「ドュダメル」という若い音楽家にその指揮を任せたというところに感動を覚えました。そうした姿勢こそが「伝統」なのだと思いました。過去にどれくらい演じたのか分からないほどのレパートーの「アイーダ」ですが、スカラ座ました。ならではの歌手・オケ・合唱の総合力にドュダメルの清新な才能が加わりました。スカラ座も暫く「全盛時代」が続くだろうと思わせる充実振りでした。
「再現」芸術である音楽において演奏家には書かれた音符から「感動」を表現することが求められます。その感動は自らは音を出すことが出来ない「指揮者」の感動が「音を出すことのできる演奏者」に伝わり、「演奏者」が再現する音楽に「感動」が織り込まれることによって始めて聴衆に伝わるのです。演奏者が過去の栄光に縋ってばかりいて、新しい才能に対して謙虚な態度を取れなければ「感動」が生まれることにはなりません。伝統の怖さ(成功体験の怖さ)はそこにあります。
音楽でもサッカーでも同じだと思います。ヨーロッパの伝統国の強さは「新しい能力」を発掘し、その能力に存分な活動の場を与えることによって自らを革新していくという自己変革力に秘密があるのだと思いました。
10月21日(月)
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