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Kenの日記
by Ken
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■フィリピン出張
3回目のフィリピン出張でした。過去2回はフィリピンの電話会社PLDTと対応するものでした。PLDT社本社が首都マニラの近代的なオフィス街のMakati地区にあったので、自然ホテルもその近辺に宿泊しました。従って古いマニラは一切知らず、空港とマカティの往復だけだったのです。今回の出張の目的のひとつとして、旧市内にある船舶管理会社との打ち合わせがあったので、思い切って旧市内近くのホテルにも宿泊しました。ホテル名は「Bay View Park Hotel」。アメリカ大使館の東側で、アメリカ大使館越しにマニラ湾に沈む夕日を眺めることができました。
ホテルの北側直ぐの所に広大な「リサール公園」があり、更にその北側には古い町並みの観光地として有名な「イントラムロス」があります。「リサールパーク」はフィリピン独立の英雄「ホセ・リサール」の名前を冠した公園で、マニラ市民の憩いの場であり、「ホセ・リサール」が処刑された場所に因んで作られています。リサールは若くして革命に命を捧げた英雄で、日本で例えるならば「坂本竜馬」でしょうか。
東京の日比谷公園に「ホセ・リサール」の胴像があります。リサールが日本に滞在した時に宿泊した場所だと銘に刻まれていますが、また日本に滞在している間に「お勢さん」こと嘗ての旗本の娘「臼井勢似子」さんと恋に落ちました。今回マニラのリサール記念館にいって知りましたが、「お勢さん」はリサールの9番目の奥さんであったのだそうです。記念館には立派な「お勢さん」の肖像が飾られています。
昨年はずっと中国の革命家「孫文」のことが頭にこびり付いていました。そして孫文が日本に亡命中に横浜で「大月薫」という女性と結婚し、そのご子息がまだ健在である事を知りました。孫文の奥様といえば「宋慶齢」が有名ですが、日本での暮らしを支えたのが「大月さん」だったようです。孫文の日本滞在の少し前に、フィリピンの革命家の「ホセ・リサール」が日本に滞在し、同じように日本人女性と結婚していたことに興味を抱きました。そう言えば「坂本竜馬」も「お良」さんに助けられ事がありました。日本人の奥さんが革命家を支えて重要な役割を果たしたことが想像できます。
01月26日(火)
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