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Kenの日記
by Ken
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■信州上田
今日帰省先の長野県須坂から帰ってきたのですが、せっかく近くまで行ったので上田によってきました。私達の家族は約12年前に上田市に住んでいました。上田市は真田家で有名ですが、今NHKの大河ドラマでやっている武田信玄と村上義清の戦いでも有名です。その決戦は「上田原」という千曲川の西側の平地で行われたのでした。そこは私達が住んでいた借上げ社宅から目と鼻のさきであったのです。

今日はまず高速道路で上田インターを下りて上田原の古戦場に向かいました。古戦場一帯は公園として整備されています。今は立派な野球場があります。野球場の直ぐ横に「観音寺」という寺があり、そこには村上軍の将の雨宮刑部の他多数の討ち死にした人々の墓があります。その観音寺から北に数百メートルいった畑の中に「板垣信方」の墓がポツンとありました。「風林火山」では千葉真一の熱演で主役を食っている感じですが、ドラマの討ち死にシーンもすごかったです。その場所に立っている墓です。今は夏ですが実際の合戦は2月であったので雪の舞う寒い季節であったのでした。下がその祠の入り口の写真です。


その後上田に来たついでに「無言館」を見てきました。「無言館」は窪島誠一郎氏が館長を務める戦没画学生の作品と遺品を展示した記念館です。館内一杯に数少ない画学生の作品が飾られていました。戦死した画学生の中には戦地などで病死した人達も多くいたようです。体力のある画学生など珍しいはずで殆どの学生は痩せていて病弱な体質であったでしょう。当時はそういう人達まで戦争に借り出したのです。画学生から「芸術」の才能を奪ったら何も残らないので戦力にはならなかったと思います。

「無言館」近辺には鎌倉時代の寺が残っています。千曲川の東側の台地には「信濃国府」の後があり現在は「八日堂」として親しまれています。「無言館」から直ぐ近くに「鎌倉道」の案内図を見つけました。ここから北は長野の善光寺に繋がっていて、南は川越を抜けて鎌倉に繋がっていたのだと思います。


上田から東御市(東部町と北御牧村が合併してできた市)、小諸市を抜け咲くインターから関越自動車にのりました。佐久インター直前の名物「おぎのや」で昼飯を食べました。
08月16日(木)
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