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Kenの日記
by Ken
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■ムンバイの拝火教徒の歴史
ムンバイのゾロアスター教徒の歴史について少しまとめてみました。(ちょっと長いかな)
ムンバイ市には数万人程度の人口を持つ「パルシー」(ペルシャ人)がいます。彼等の宗教はゾロアスター教(拝火教)。世界全体でも10万人程度の信者の数なのです。その中でインド全国で6万人強の信者がいるそうです。
ムンバイはその半分以上が住んでいて、ムンバイは世界中でゾロアスター教徒が最も多く住む都市なのです。ゾロアスター教徒の伝統では、男性が非ゾロアスター教徒の女性と結婚すると、生まれた子供達はゾロアスター教徒となるのですが、逆の場合はゾロアスター教徒になることは許されないのだそうです。今は移民等で外国に行き他の宗教に変る人もいて、他の宗教の男性と結婚するゾロアスター教徒もいて、ゾロアスター教徒の数はどんどん減っているのだそうです。
そういう関係で、ムンバイ市には近郊地域も含めて47の拝火教寺院があります。それは全世界の40%にあたるそうです。寺院には他の宗教徒は決っして入れません。インド10億人の7割程度を占めるヒンズー教徒もこの中には絶対に入れません。ゾロアスター教徒の宗教儀式は他の宗教の人達には、全く「なぞ」なのです。聖なる「火」を祭るといわれる「ゾロアスター教寺院」に加え、「鳥葬」が行われる「沈黙の塔」がひっそりとですがムンバイには存在しています。一見するとただの丘ですが、ムンバイの「沈黙の塔」は一等地の住宅地の丘の森の中にあります。
「ゾロアスター」という人ですが通説では紀元前6世紀頃に「神の言葉」を伝えた者とされています。ニーチェの「ツァラツストラは斯く語りき」とか、R・シュトラウスの同名の交響詩、さらにモーツアルトの魔笛に出てくる「ザラシュトラ」。「ゾロアスター」はその名前に響きの不思議さも手伝って、ヨーロッパで不思議と取り扱われるのことが多いようです。宗教の考え方はどんなものか・・・・これはこれからもう少し少しずつ勉強しようと思います。
「ゾロアスター教徒がインドに来るまでの歴史」
ゾロアスター(拝火教)は最初はカスピ海東部地域で発生したようですが、歴史に登場するのは、紀元前6世紀に成立した「アケメネス朝ペルシャ」の時代だとのことです。この王朝を築いた「キュロス大王(Cyrus the Great)」は非常に寛大で名君であったとのこと。この王朝の下でゾロアスター教はイランを中心に中東全般に広がっていったようです。
キュロス大王(こちらではサイラスと発音しています)はバビロンを征服しユダヤ人を解放したことに加え、奴隷を解放し、人類最初ともいえる「人権憲章」を作ったのでした。この碑文の書かれた円柱が1879年に発見され、本物は大英博物館に所蔵さ、レプリカがニューヨークの国連本部に置かれているのだそうです。
アケメネス朝ペルシャの支配地域は、エジプト、ギリシャから中東、カスピ海東部、インダス川西部に及ぶ広大な地域でした。政治と宗教の関係が詳しくはわかりませんが、宗教にかんしてはかなり寛大であったとことが想像されます。そんな環境の中ゾロアスター教も多くの宗教の中でひとつであったと思われます。ここでゾロアスター教は「アフラ・マツダ」を唯一の「神」とする「一神教」であるという点は、ユダヤ教が一神教であるという点と共に非常に重要でしょう。(自動車のマツダという名前もここから由来しています)
このアケメネス朝ペルシャでは、ダレイオス一世の時代に最も隆盛します。この王は有名なペルセポリスの都を建設したことで知られています。そしてダリウス3世の時代(紀元前4世紀)に新興国マケドニアの英雄アレキサンダー大王に破れ(イッソスの戦いBC333)、衰退の道を歩むことになります。
その後アレキサンダーはエジプトをも征服し「アレキサンドリア」を建設しペルシャの都を破壊しました。しかしアレキサンダーの死後、この地域は混乱することになります。一方、ヨーロッパはペルシャから多くの有形・無形の宝をヨーロッパに持ち込み、先進地域のペルシャに追いついていきます。そしてペルシャが混乱している間に、ローマ帝国がその帝国範囲を急拡大していくのです。
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10月30日(土)
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