ID:85567
Kenの日記
by Ken
[99455hit]

■ソニア・ガンジーのこと
今日5月21日は、ソニア・ガンジーの夫のラジブ・ガンジー(Rajiv Gandhi)が亡くなってから13年目の記念日にあたります。朝のテレビ放送では、記念碑に花を捧げるソニアの姿が報道されていました。今週水曜日に電撃的に「首相就任」を断った「ソニア・ガンジイー」は、今、新首相候補の「マンモハン・シン」と並んで時の人となっています。


勉強ののために「ソニアと夫のラジブ」のことを調べたので記録しておきます。ラジブ・ガンジーは1944年にインディラ、フェローツェガンジーの長男として誕生しました。ソニア・ガンジーは1946年にトリノ近郊のオバサンジョのマイノ家に生まました。


二人は1960年後半にケンブリッジ大学に学び、そこで知り合って1968年に結婚しました。ラジブはいたって普通の学生であり、卒業後は飛行機パイロットとして働いていました。ソニアにしてみれば、「インドの英雄ネルー」の直系の孫というものの、政治野心のない、誠実でハンサムなインド上流階級の紳士と結婚したつもりであったと思われます。


ソニアは結婚後義理の母でありインド首相のインディラと非常にうまくやってきましたし、ソニアとラジブは二人の子供(長男はラウル、長女はプリヤンカ)に恵まれ、本当に幸せな家庭を築いていたのです。


ところが、ラジブの弟の「サンジャイ」が1980年に飛行機事故で亡くなってしまうと、母インディラはラジブを政治の世界に引っ張り込んでしまったのです。たぶん、インディラは弟の方に政治家の資質を見出していたのでしょうが、弟の死でラジブに後を託すしかなくなってしまったのです。


政治の世界に疎かったラジブの運命が、非常なスピードで回転し始めたのでした。彼は1981年の総選挙で国会議員に当選して「母インディラのアドバイザー」として政治に首を突っ込んでいくことになります。そして1984年母インディラが暗殺された後、母を継いで国民会議党の代表に選ばれ首相に就任するのでした。40歳で首相に就任したラジブの政治は大きく言って二つの側面を持っていたと言うことができます。


ひとつは、21世紀を睨んだ「インド社会の発展」というビジョンです。貧困の解消、差別の撤廃、国際協調の推進といったネルー・インディラに続く社会民主的な目標設定、そして「若さ」を前面に打ち出した清新さでありました。この考え方の下に、彼はスリランカ民族紛争解決のために「インド平和維持軍」を派遣して政府側を支援したのでしたが、これを嫌ったタミール人ゲリラの自爆テロによって、1991年インド南部タミールナド州で亡くなったのでした。それが5月21日なのです。


ラジブの政治の暗部は、いわゆる「政治腐敗」なのです。裏の世界の事情に疎いラジブは、「金」の問題で国会議員を落選することになるのです。スウェーデンの機関銃製造会社からの多額の賄賂受け取ったという問題が致命傷となって1989年の総選挙で落選してしまったのです。そして復活を目指して選挙遊説をしている最中に死を迎えてしまいました。


ソニアは、パイロットの妻からファーストレディに成ってしまったのです。外国人のソニアは、ソニアはラジブと結婚するにあたって、ラジブが政治活動に首を突っ込むことを恐れていたようです。ラジブとの約束で「彼が政治にかかわるならば離婚する」と約束していたようです。


そのソニアは、1991年の夫の死以降数年間喪に服していたのですが、1997年に国民会議党に入党します。本来政治活動に気が向かないソニアですが、国民会議党は彼女の「カリスマ的な人気」に目をつけて国民会議党の代表に祭り上げてしまったのです。


しかし、この間のインドの政治はバジパイ率いる「BJP」(インド人民党)中心の連立政権が政権を運営をしてきました。この「BJP」政権は国民会議党の敷いた近代化路線を順調に発展継承し、近年のインドの経済発展をもたらしたのです。伝統ある国民会議党は野党であったのです。



[5]続きを読む

05月21日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る