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Kenの日記
by Ken
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■ムンバイの拝火教徒の歴史
アレキサンダー大王死後の中東地域は数百年間混乱します。バビロンから開放された「ユダヤ教」、そしてゾロアスター教が広まりますが中小国の成立・破壊の世の中で宗教もまた混乱していたことが想像できます。そして「イエス」の誕生を迎えるのです。キリスト教誕生に、ユダヤ教と並んで、ゾロアスター教が大きな影響を及ぼしていたことが想像されます。


その後中東地域全体を統一したのはササン朝ペルシャ(3世紀)でした。キリスト教が西のローマ帝国に拡大していったこととは対象的に、このササン朝ペルシャで支配的な勢力となったのがゾロアスター教でした。ササン朝ペルシャでは支配的な宗教と扱われたようです。一方拡大したローマ帝国はビザンチンに拠点を置く東ローマ帝国がキリスト教を国教として成立していきます(4世紀)。


ササン朝ペルシャとビザンチン帝国の対立が続いていた時代に、7世紀、アラビア半島に「マハメッド」が現れてイスラム教が創始されます。イスラム教はモハメッドの近親者を子孫を通じて急激に中東全体に広まっていきました。それらの国ではイスラム教の伝道者(カリフ)が王となるわけですが、そうしたカリフの中から有力な王が出現しました。そんな中でも「アッバース朝」は有力で現在のバグダットの地に都を建設しました。


このアッバース朝衰退の後に中東地域、イラン地域を支配したのがセルジュクトルコ朝でした。ササン朝ペルシャの衰退以降、中東イラン地域は次第にイスラム教の影響が強くなっていきます。そうした状況の中でゾロアスター教徒たちは次第にイスラム教の飲み込まれていったものと思われます。11世紀のイランの詩人「オマール・ハイヤーム」の有名な詩にもゾロアスター教のことが出てきます。彼はイスラムの詩人とされますが、彼を隠れたゾロアスター教徒だとする説もあります。


そしてイスラム支配に耐えかねた少数のゾロアスター教徒がイランを出てインドに向かいました(11世紀)。この「イラン脱出」のことはゾロアスター教徒の中では非常に重要な叙事詩となっているとのことです。ここで注目すべきは、ゾロアスター教とヒンドゥー教が非常に似ていたということです。二つの宗教はともに紀元前3000年頃、カスピ海東部地域に発生し、ゾロアスター教はイラン方面に、ヒンドゥー教はインド方面に広まっていったもので、元は共通するものがあったようです。


困難な旅路を乗り越えて、イランを逃れたゾロアスター教徒はインドのグジャラート地方の定住しました。この時のインドの王との出会いは有名なものとして語り継がれています。


インドの王様は漸くインドにたどり着いたゾロアスター教徒に、コップに注いだミルクを差し出して、「インドは貴方にミルクを提供して迎えるが、貴方はインドに何をしてくれるのか」と問いただしたのだそうです。ゾロアスター教徒はそのミルクを飲まずに、そこに砂糖を加えて混ぜ合わせ、王様にそのまま差し出したのだそうです。


この話はインド10億人の社会で生き残っているゾロアスター教徒の生き方を端的に現しているようです。そして時代は17世紀イギリスのインド経営の時代になります。グジャラート地方に居たゾロアスター教徒たちは、イギリスが建設し始めた「ボンベイ」に移り住み、支配者イギリス人と良好な関係を築いていきます。その中からインドを代表する財閥の「TATA」家などが出てくるのです。


こうして外観してみると、非常に興味深い宗教であり、人々であることが分かります。

10月30日(土)
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