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日刊・知的ぐうたら生活
by schazzie
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■コーマック・マッカーシー 『越境』
コーマック・マッカーシーの 『越境』 は、なかなかスムーズに進んでいかないのだが、それでもこの雰囲気が大好き。登場人物の感情など無視して(マッカーシーは心理小説が嫌いらしい)、淡々と語られていくだけなのだが、「淡々と」という書き方は、非常に好ましい。登場人物の気持ちが、読者すべてに共感を得るとは限らないのだから、感情を押し付けることなく、淡々と書いてくれたほうが、読むほうは自由に想像を広げることができ、その分楽しめるというものだ。
訳者あとがきに、以下のようなことが書いてあって、何も考えずに読んでいる私は、へええ〜、そんなにすごい本だったのか!などと今更のように思った次第。
------------------------以下「訳者あとがき」から抜粋
『越境』は、詩と幻想に哲学を織り合わせて、<世界>とは何か、そこにおいて人間はどういう存在であるのかを問う、形而上小説といっていい。作者は《ニューヨーク・タイムズ・マガジン》のインタビューで、プルーストやヘンリー・ジェイムズの小説は理解できない、自分にとってはあれは文学ではないと語っている。プルーストやジェイムズが形而上的深みを持たないとはもちろんいえないが、大雑把にいえば、彼は心理小説には興味がない、彼の文学は社会における人間と人間の関係を扱うのではなく、<世界>(ほぼ<宇宙>といいかえてもいい)と人間の関係を扱うのだ、ということになるだろう。
マッカーシーが本当の文学として挙げるのは、ドストエフスキー、メルヴィルであり、特に『白鯨』が好きな小説だという。実際、『越境』と『白鯨』の親近性は顕著である。『白鯨』では、心理が覆い隠されている場所としての陸と心理が発現する場所としての海が対置されたが、『越境』でもアメリカとメキシコ(ないし人間社会と荒野)という形でその対立構造が描かれる。しかもメルヴィルの海もマッカーシーのメキシコも作者が五感で知悉(ちしつ)している世界であり、形而上世界は鮮烈な色彩と香りと肌触りと響きに満ちた叙事詩の上に築き上げられている。
また『白鯨』では人間はみな<孤児>であるというテーマが重要な意味を持ち、<孤児>であり<自己追放者>であるイシュメイルが宇宙の光を闇のドラマに立ち会い、ひとり生き残るが、『越境』のビリーも<孤児>、<自己追放者>となって<世界>の残酷な真の姿を発見し、みずからは証人として生き延びる(というより死ぬことが許されない)という運命をたどる。ある作品が『白鯨』に比肩しうるなどとは、おいそれといえるものではないが、『越境』がそれをためらわせない作品であることは多くの読者が賛同されることと思う。
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というわけで、おいそれとは言えないらしいいが、これはなんと『白鯨』と並び称されるくらいの小説だったのだ。とはいえ、『白鯨』はグレゴリー・ペック主演の映画でしか知らず、数年前の誕生日に 八潮版の『白鯨』 をもらってからも、一度もそのページを開いていない私としては、どこにどう親近性があるものやら・・・という感じなのだが、ここまで言われては、『白鯨』も読まなくてはならないだろう。
ちなみに私のPCでは、「はくげい」では一発で出てこない。いつも「しろくじら」と打つ。偉大なる文豪の名作のタイトルなのだから、「はくげい」くらいぱっと出てきてもよさそうなものだけど。
にしても、黒原氏のあとがきを読むと、いつも感心させられる。翻訳をするにあたって、どの作品でも必ず勉強のあとが見えるからだ。おおかたの翻訳家はそれ相応の勉強と下調べをするのだろうが、中にはそうでない翻訳家もいるので、こういったあとがきを目にすると、良心的で真面目な(ほとんどは良心的で真面目だとは思うが)、素晴らしい翻訳家だと感動すらする。
〓〓〓 BOOK
◆読了した本
『Paradise County』/Karen Robards (著)
マスマーケット: 436 p ; 出版社: Pocket Books (Mm) ; ISBN: 0671786466 ; (2001/12/01)
内容(「BOOK」データベースより)
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01月07日(金)
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