ID:83698
日刊・知的ぐうたら生活
by schazzie
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■原文で味わう新しいアメリカの短編小説(4)
「原文で味わう新しいアメリカの短編小説」講座第四回
テキスト:「A Place I've Never been」/David Leavitt

デイヴィッド・レーヴィット(発音としてはリーヴィット)は1961年カリフォルニアに生まれる。エール大学でクリエイティブ・ライティングを専攻したのち、ニューヨークの出版社でアルバイトをしながら雑誌に短編小説を発表。
1984年短編集『Family Dancing』(邦題『ファミリー・ダンシング』)を出版して注目を浴びる。この短編集の中で、自らがゲイであることをテーマとした作品を何点か書いてカミングアウトし、喪失感にさいなまれる現代の若者達の心の動きを描きとったことなどにより、今日的な作家のひとりとされている。

テキストの舞台は1990年前後のニューヨーク、マンハッタン。まさに上に書いたような「喪失感にさいなまれる現代の若者達の心の動き」を描いたものだが、この作品で重要なのは、語り手が女性であるということ。ストレートの女性とゲイの男性との交流というややこしい状況を、ややこしい文体で書いている。ゲイの小説では避けて通れない「AIDS」問題だが、これをストレートの女性が語るということで、全てが遠まわしに書かれている。明かにAIDSのことだとわかるのに、AIDSとはっきり書かれているのは、たった1箇所だけ。それも「芸能人のAIDS救済運動」といったような書き方しかない。

レーヴィットは、こういった語り口の中で主人公(語り手)の性格や人生をほのめかしており、具体的に書かれていることよりも、書かれていないことのほうに面白さがあるといった複雑な手法を用いている。しかしレーヴィット自身の文体が全てこのような文体なのではなく、あくまでもひとつの手法であり、高度なテクニックなのである。優れた文学作品とは、このようなものである。<青山氏曰く

というわけで、今回は非常に読みにくい文章。つまり回りくどくてはっきりしない優柔不断な文章だったので、何を言っているのやら???だった。これが課題でなく、自分で読んでいる本だったら、間違いなく投げ出していただろう。ただひとつ言えるのは、優柔不断なのは相手のゲイの男性ではなく、ストレートの女性のほうである。それと、読み手がゲイについての知識が少ないため、あるいは偏見のために、かなりの人が誤読をしていると思った。この二人はいずれ愛し合うようになって幸せになるのだろう(有り得ない!)とか、同性愛など神を冒涜するものだ(なんて恐ろしいことを!)とか、耳を疑う感想が飛び出してきた。

ストレートな女性にとって、ゲイの男性は「男」ではない。どんなにカッコ良くて、優しくて、頼りになったとしても、それは彼がゲイだからであって、男女の関係ではけして築けない関係なのだ。彼がゲイでなければいいのに・・・と思っても、もしゲイでなかったら、他の男と一緒になってしまう。つまり、女に嘘をつき、悲しませ、捨てていく(全部が全部とは言わないが)。ゲイである彼らは女に対して、その先に結婚とか家庭とかの夢を抱かないために、一生友だちでいれるのだ。むしろ同性の友だちよりも、はるかに信頼できる。彼らは女に母性的な愛を求めることはあっても、「女」としての愛は求めない。それは自分勝手でも何でもない。そういう性なのだし、そういう人間であるわけだから。

●次回の課題
「Satan : Hijacker of a Planet」/Louise Erdrich


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◆青空古本市(雨天だったが)―早稲田大学キャンパス内

『とっておきの話』ちくま文学の森15/安野 光雅 (編集), 森 毅 (編集), 井上 ひさし (編集), 池内 紀 (編集) \500
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