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日刊・知的ぐうたら生活
by schazzie
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■「マディソン郡の橋」で泣く
リチャード・ハリスの「キャメロット」もまだ全部見ていないのだが、昨日ドン・キホーテで、ハリウッド・プライス1500円均一で買った「マディソン郡の橋」を2回も見てしまった。シュワちゃんの「イレイザー」など、封を開けてさえもいないというのに!
ジェームス・ウォラーの『マディソン郡の橋』は、実は大嫌いな話だったのだが、大津栄一郎先生のNHKラジオの講義があったため、原書(『The Bridges of Madison County』)でも翻訳でも読んでいる。加えて、友人がビデオを貸してくれたので、それも何度か見ている。

そこまで関わっておきながら、やっぱり嫌いだ!と思っていたのに、「安売り」にひかれて、つい買ってしまって、やっぱり買わなきゃよかったなどと後悔しながら一応見てみると、なんてことでしょう!もう涙、涙って感じ。以前に本を読んだり、ビデオを見たりしたときは、これを理解するには私は若すぎたのだ。

この話は「不倫の恋」という部分ばかりが注目されてしまっているが、人生がたそがれてきたんじゃないかと思い始めて、やっとわかる大人の物語だったのだ。もちろん叶わぬ恋というシチュエーションも、非常に切ないのではあるのだけれど、その奥に、もっと違ったものがあったのである。

主人公のフランチェスカを演じるメリル・ストリープが、太りすぎで見苦しい!映画って夢を見させるものでしょ!などと言っていた私なのだが、気が付いてみれば、自分もとっくにそういう体型になっており、今見れば、当然のことながら、言うまでもなく、メリル・ストリープのほうがはるかにきれいだ。(^^;

そして、家庭を何より大事に思ってはいるものの、このまま年を取って死んでいくだけなのか、という孤独と脱力感。もっと違う自分があるはず・・・と思っているところに、クリント・イーストウッド演じるところの、ロバート・キンケイドがやってくる。

平凡な日常に投じられた、ひとつの変化。それを待ち望んでいたにも関わらず、どうしても踏み切れないフランチェスカの気持ちが、痛いほどわかるような気がして、まるで自分のことのように泣けてきてしまった。

以前には全然いいと思わなかった話なのに、なんという違いだろう!年を取って、経験を重ねるということは、こんなにも大きな違いを生むものなんだなと驚いた。

しかし、これはアポロ13号の前では見れない。なんで泣いているのかと疑問に思われ、まさに不倫でもしているんじゃないかと勘ぐられたりしたら、あんまりよろしくない。

ところで、字幕と吹き替えの訳がだいぶ違っていたのでびっくりしたのだが、例えば、夫リチャードの人柄を説明するときに、「clean」という単語を使っているのだが、字幕では「まっとう」なのに対して、吹き替えでは「さっぱり」と言っている。これはだいぶ意味が違うだろう。大津先生はどう訳したか忘れてしまったが、前後関係からして、ここは「まっとう」のほうがいいように思う。こういう違いは結構たくさんある。

それから、アイスティー(ここで「SUN TEA」が出てくる)を作っているところで、フランチェスカがロバートに「砂糖は?」と聞く。原書では「No!」と言っているのに、映画では「もちろん!」である。これは字幕でも吹き替えでも一緒。そんなことはどうでもいいと言えば、どうでもいいのだが、やっぱりダーティー・ハリーが砂糖なんか入れちゃダメでしょ。

ちなみに、映画の舞台になったマディソン郡の橋、ローズマン・カバード・ブリッジ(Roseman Covered Bridge)が、最近火事(放火?)で焼けてしまったという話があった。でも、焼けたのはシーダー・ブリッジだ。原題のほうは「Bridges」と複数になっているので、一番有名なローズマン・ブリッジだけが物語の舞台というわけではない。
『マディソン郡の橋 終楽章』/ロバート・ジェームズ ウォラー
出版社/著者からの内容紹介

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10月31日(木)
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