ID:79475
やさぐれ日記・跡地
by アルティーナ
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■親
・・・うーん。

コレ書いてるの27日の夜だけども。
“求めて止まぬモノ”の続き、まだ途中なんだよね(ぉ
ソノ気になればすぐ書けるんだけど。
そのうち必ず書きます。保証。

何の保証かは知らない(ダメ



えぇと。
ふと思うところあって。

「親」という存在について書き綴ろうかと。

別に現在、自分が悩んでるワケじゃないですよ。




自分が中学生・高校1年生くらいの頃、「親」の存在と言うモノにかなり悩まされてました。

思春期(?)だったのか何だったのか、親への反発心と、逆に甘えたい気持ちのジレンマあり。
親の言葉に圧迫感や束縛感を感じて、物凄く自分勝手な「自由」に憧れてみたり。


自分の理不尽さを親に投影して、悔しい思いは親の所為、という対象を設定することで自我を支えていたような気さえします。

早く「大人」になりたくて。
早く兄姉たちのように己の判断で好きに生きていけるような。

でもどうしても経済的な部分で親のスネをかじっている以上、彼らのような「自由」はきかなくて。

親の都合と自分の都合が、水と油のようで。


何度も何度もぶつかって、でも親は理不尽ながらも強固で。
よく泣きながら次女姉(当時は札幌で前の旦那さまと暮らしてました)に電話をしたものでした。

その理不尽さも、強固さも、自分を鏡で映したようなモノだったのかも知れないなぁ・・・なんて、今は。


ただ、やはり親特有(?)の「偏屈さ」はどうしても存在するようで。
相手が子供故なのか、元々そういう性格なのかはさておき。

ココは絶対おかしい。
間違ってるのは私じゃない。
この部分に関しては母のようにはならない、父のようにはならない。


姉たちに助言をもらいつつ、そうやって少しずつでも割り切ろうとしていました。
反面教師にしたりしてサ。

あと、ベタな言葉だけど、親子と言っても別々の他人であるワケだから。

似てるところも勿論あれば、似てないところもあるし。

自分が「大人」になりたい、「自由」になりたいと思う以上、親の願いや理不尽な言いつけをいつまでも聞いていることは不可能なんじゃないかと思う。


今まで親が背負ってくれてた「責任」を自分の荷物にするのは、それはそれで億劫だけど。

あの頃の自分は、高校を卒業したら家を出るんだ、と決めていたから。
あと少しの猶予みたいなモノを、なるべく自分を見失わないように、親とどういう風に付き合えばそれが叶うのか、模索したり葛藤しながら生きていた気がします。


「大人」って、例えば20歳の境界線なんか何のアテにもならないよね。

自分の中で「さぁ20歳だ」ってケジメをつけるのは良いことだと思うんだけどっさ。

学生なら、20歳過ぎたって卒業まで親のお世話になる人が多いのだろうし。
と言うか実家にいる限り、何らかの形で親に頼る場合がほとんどか。

経済的な自立が出来ても、精神的に親離れ出来ない子供、子離れ出来ない親なんて、多分ホントにありふれてる。





昔はムシが良かったのだ(、、

親に頼るだけ頼っておきながら、自分の好きにさせてよ、ってゴネてたようなモノだから。
我が侭で、親の前では感情もストレート過ぎて。

無償の愛を与えるのは親の義務みたいなモノだとは今も思う。
でなきゃ子供は健全に育たない気もする。


でも、20歳なら20歳を堺に(何歳でもいーや)当然の如く享受することに疑問なり抵抗を抱かないことには、やっぱ子供もダメなんだと思うなぁ。

何から自立出来たって、親から自立出来ないことには、1人の人間として立っていけてない気がする。



私も、まだまだで。

昔よりは親との付き合い方、距離の取り方はわかった。
(穏便な、ね)

次のステップは経済的な自立かなぁ、と思えるくらいには。
・・・だとすると再来年の春か(ぉ>ガッコ卒業



偏屈でズレてる親だな、って思うけど。

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09月21日(火)
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