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やさぐれ日記・跡地
by アルティーナ
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■否定する資格
ファーストフードは100%体にイイと思って食べてる人が、それこそ一体何人いるのだろう?


おそらく決して体にイイわけではない、とわかっている。
野菜不足になってしまうことも、塩分過多になってしまうことも、きっと多くの人が知っている。


しかしそれでも必要とされている。
安いチェーンの牛丼屋さんが、焼肉屋さんが、マックもコンビニもケンタッキーも、その人その人の基準と判断で量りにかけられて、そうして選ばれている。


この現実をわかった上で、そう軽々と否定できちゃうのだろうか。
であれば随分と軽薄すぎやしないか?


信頼できる食材とはどんなものか、見分ける目と知識があって、それを誰かに教えられるほどの自信があるのだろうか。

減農薬の野菜とはどんなものか、無農薬野菜との違いはどんなもので、有機野菜はどんな作られ方をしているのか?
何が1番栄養があって、いつどの時期で、どういう調理法で?


養豚場で育てられる豚が生まれてから私たちの食卓に届くまでのプロセスを知り、その中にどんな問題があってどんな改善が必要で、またそのためにかかる時間や費用の目算がどれくらいで。


・・・そんなの、わかんないだろう。
その道のプロでもなくて、調べるには限界があって、実際に経験したわけでもなくて。


非難するのは誰にでも出来るけれど、非難する資格があるのは誰だろう。

食の安全性の現状と、これまでと、これからと、それら全てを的確にこと細かく知り、語り、導き、実行できる者にしか資格はないのじゃないだろうか?


アメリカ産の牛肉が安全だと言ってるマスコミに対してやはり非難をしていたけれども、確かにマスコミって無責任なところがあると思うし、そのくせ影響力が大きい。

けれど否定をするだけで現実的な具体策を何ら提示できない人は、マスコミと大差ないだろう。
全ては暴論であると思う。



これは何か違うと思う、
何となくしっくりこない、
不安を感じる、
違和感がある、

・・・そういうのは誰しも感じる。

感じるのは自由で、思うのも自由で、口にだすのもまた自由。


けれど非難し責めても方向を示せず「正す」ことが出来ない時点で、一体どれだけのものが変えられるだろう。

正解を知らないなら、間違っているかどうかもまた確実ではないということ。


こう書くと「綺麗事だ」と思われそうですが、
否定し非難しているだけの方が随分と綺麗事なのかも知れません。

そして、否定するというのは案外、随分と楽なことなのかも知れないなと思いました。



そんな感じ(、、

いや、決してその人の日記を全否定したいわけじゃないのですが。
小説に載ってた言葉をそのまま借りて考えると、こうなるなーって。


私が抱いたその日記への印象は、「相変わらず過激な書き方してるなぁ」くらいのもので。
受け入れられないものに対しては物凄く拒絶するその人の性格がよく出てるというか、うん、それもまたその人らしさなのです。

そもそも徒然に書き綴る日記だしー、とか。
でももうちょっとその過激さを緩めた方が、うまく生きていけそうなのになー、とか、そんなことばっかり。


だから別に文句言って叩きたかったわけじゃないんだ。
題材的に引用しやすかったからつい、ってのと、是非ともそういう「理」があるってことを知って欲しかったと言うか。

気分悪くなっちゃうだろーからゴメンナサイ。



ちなみに私も、『責難は成事にあらず』という言葉にとっても考え方を改めさせられたことがあります。

家族に関わることなのですけど、それはまた次の機会にッ。


この言葉を以前より深く理解できたことで、
今後ちょっとだけ賢く?生きてけそーな気がする。



p.s.
日記埋めますそのうち(先にしろ

12月15日(木)
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