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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■くぐつのはずみが何故、後白河の上皇に




今様・・·・平安時代の後期、遊女・傀儡子(くぐつ)というプロの女性芸能者が狙った歌。「長うてくせづいたり」(「枕草子』)。今様に耽溺した後白河院は、喉が潰れてしまうほど日夜練習に励み、今様集『梁塵秘抄」を編纂した。




くぐつのはずみが何故、後白河の上皇に教えようかと思ったかと言いますと、上皇がどんないきさつかお坊さんに向かって、読経とか声明はちょっとやりたくないんだけど、今様をうたって成仏はできませんかねえときいて、笑笑、無理デスと即答され、笑笑、ということが何かに書いてありましたので、授けようかと思います、



9/22
茅場町 七針
予約満員 SOLD OUT
福岡ユタカ
横川理彦
藤田康城
儀式(宮嶋隆輔、猫村あや、蒲原羽純)
第一部対談:「今様・催馬楽・その他あれこれ」
第二部 演奏:即興/催馬楽/今様

即興、声とヴァイオリン、声ほか、ヴァイオリンほか、センターに座っている藤田康城DJはなにをどう操作しているのかはわからない、
声とヴァイオリン奏者の存在が後退して、フィーレコと熱帯雨林と高度な欧州即興がレイヤー状態に襲ってくるような圧倒的な密度にクラクラするばかり、
いやはや、DJという可能性を知らされたライブ、!、




七針のおにぎりセット美味しい、カレーセットテイクアウトする、平日のみランチ自然食オーガニック系人気あるみたい茅場町、






その時分は、東京は泥濘の都会、土蔵造の家並の都会、参議の箱馬車の都会、橋の袂に露店の 多く出る都会であった。考えて見ても夢のような気がする。京橋日本橋の大通の中で、銀座通を除いて、西洋造りの大きな家屋は、今の須田町の二六新聞社のところにあったケレー商会という家一軒であった。それは三階の大きな建物で、屋上には風につれてぐるぐる廻る風測計のような ものがあった。何でも外国の食料品か何かを売っていた。

三越はまだ越後屋と言って、大きな折れ曲った店に黒い中に白く抜いた字の暖簾が長くかかっていて、中から、番頭や小僧の「おー、おー」と言うような一種諧調のある呼声が聞えた。通りも狭く、なるほどロチの眼には汚い狭い暗い東洋の都会という風に映じたであろうと思われる。 須田町の突当りは、楊柳などの毿々とした広い火除地で、例の昔の錦絵にある東京新名所の石造の目鏡橋が架っていた。



毿々とした

毛が長いという意味がある、毿、意味わからん田山花袋明治、



随分いたずら小僧であったに相違ない。京橋と日本橋とをいかな日でも渡らないことはなかったが、大抵その時分流行った唄なんか唄って通った。「てけれっつのぱ」という唄の流行った頃で、「合乗、ほろかけ、てけれっつのぱ。」などと大きな声で唄って通った。
娘は島田髷に鹿の子しぼり、赤い前懸などをして歩いた。麻の葉の標なども私の眼についた。夜になると、通に並んだ街燈、その時分はまだ石油であった街燈を、点火夫が一つ一つ走りながら点けて行くのが面白かった。私はそれと一緒に走りっこなどした。


東京の三十年
田山花袋
1917 大正6
2011岩波文庫










09月22日(日)
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