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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■1956年の東京




1956年の東京 [60fps] Tokyo in the 50's | 浅草 銀座 丸の内 有楽町など (昭和31年の日本)


おおお、ここな、ここな、敗戦11年後、この国、

今では駐車場に囲まれて孤立する履き物の大野屋が映っている、ビックカメラよみうりホール建物建設中、ラストの国会議事堂うらの住居群、

息が詰まる、おれ生まれてない、青空は今日と同じ、





小学生のころ函館、なまこのす酢のもの、食卓に出てたな、銀座55食材ショップでお塩と醤油を買ってたら、青ナマコ酢、赤ナマコ酢、冷凍パック、解凍してそのまま食べられるる?、ごはんで?、


ナマコ食べたかったんだよねー、






本来、「各別各異」(「農民藝術概論綱要」)に「現象」(「春と修羅」「序」)しているはずの人間の存在 から、その個人史や生きてきた歴史的背景・社会状況を捨象し、いともたやすく一般化しては、その 過てる抽象化・観念化の結果として、現存する人と世界の実像を虚像にすりかえ、問題のいっさいを 抹香臭い「万象同帰のそのいみじい生物の名」「青森挽歌」)に溶解してしまおうとするとき ―生と
死の本来、一人一人の者にあって担われ、また直面せざるを得ない抜き差しならなさは、すべて「コ ハガラナクテモイイ」 (「雨ニモマケズ」)こととして封印され、「僕」や「僕のお母さん」や「カムパ ネルラ」や「みんな」の「ほんたうのほんたうの幸福」はその瞬時に没収され、同時に、即自的に 「そのいちばん幸福なそのひと」(「銀河鉄道の夜」 初期形)のものへと、新たに帰属する名義人が一方 的に宣言されてしまうだろう。
詩人もまた、ときには一個の権力者でありうるのだ。この事実を、私にとって宮澤賢治ほど強く確認させる存在は、ほかにない。

山口泉 2004






堪能させ賜ふ其方の体


中毒保証、はー、おもろ!、








06月06日(火)
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