ID:7590
Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
[849359hit]
■
今朝の地下はニッポン放送ラジオでドックンドールゆらゆら帝国1998でした、ゆらゆら帝国ミーのカー1999聴いてたけど、坂本慎太郎に打たれたのははじめて九段の会食待機で靖國神社正門横断歩道に停めてどれどれとかけた『ナマで踊ろう』2014、1曲目の、もうこれはれいこんたちが歌ってるとしか思えない「到来」の直感、
ウクライナではなくウルグアイ、訂正すんのずっと忘れてた、
http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20211010
きゃー、インタビュー、
https://www.oto-tsu.jp/interview/archives/5664
侵攻があったときああっと思ったこのジャケの世界でと、勘違いした、じゃあそのああっという気持ちはチガウのか?というと、いやどの国のことだって一緒でしょ?、だし、
20世紀は、戦争、殺戮、有無を言わさぬ弱肉強食の世紀であり、人類の危機の時代であっ た。人は数値化、匿名化され、個性は平板なものへと馴化され、だからこそかえって人々はそのような流れに対抗し、様々な試みを行い、素晴らしい芸術、思考、文化を産み出して いった。一触即発の緊張状態の中で芸術は産み出されていったと言って良い。ささくれだった感受性によって、いわば心の叫びとして、或いは憎悪として、或いは怨嗟として真正の芸 術はこの世に産み出されていった。
しかし「大衆」はそのようなものを理解しようとしない。切り捨てるか祭り上げるかして、 「大衆」に理解できる範囲にまで凡庸化し、牙を抜き、毒を中和し、ハンバーガーショップ の異常なまでの清潔さと便利さで供される無味乾燥な食事のように、画一的なパッケージングをして、自分たち自身に返す。 真性なる芸術はこうして真綿で首を絞められるようにして 徐々に圧殺され、残るのはその無惨な残骸と凡庸で無能な大量の「大衆」のみとなる。
宮下誠2008、
なんなん、1ミリも理解できなーい、でもカラヤンがだめでクレンペラーがすごいのは聴いて共感できた契機になったので感謝のみ、同い年だし、
02月17日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る