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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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インプロは英国原理主義でよい、一方でレニートリスターノ、コニッツ、ジムホールを母とするのも不可欠ではないか、
黎明期に、反応の乏しさ、音色の操作性により、電気楽器やおもちゃ、シンセ、は、破棄された、
好き嫌いでいえばブロッツマンも、うるせー、
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2月しなとしょカフェ
心を耕す回想法
講師 宮本典子氏 臨床心理士・公認心理師
高齢期をいきいきと暮らすための手がかりを回想法の手法を通じて一緒に探してみませんか
ジムオルークのポールモチアン特集、3曲目にフラグメンツ、そこ、正解、ECMは緩慢たる革命だった、のか、
p.minor/カンパニー社
@parusminor33
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3時間
ECMの第2作目『Just Music』(1969年)について語るアルフレート・ハルト。この頃の写真は初めて見るものばかり。
ECM50 | 1969 Just Music's early recording history
https://youtu.be/3AOIyplnN3o
BirthやFMPといったレーベルが設立された当時、「同時代」は「前衛」を意味していたからECMの1枚目がマル・ウォルドロンというのは少し疑問だった、とハルトは回想していますが、今思うとそこがECMらしいというかアイヒャーの慧眼だったように思えますね。ECMは最初の2枚で既に異質。
ハルトのThis Earth! を音楽の最終作品だなどとファンクラブを敵に回してまで全力で掲げた若き海苔箱も偉かったと回想するが、
Just Music の価値までちゃんと視野に入れていたかと言えば、大里俊晴、福島恵一、原田正夫、堀内宏公に言われなければ気づかなかったはずだ、
この記事もホソダ常務に教えてもらった、道を照らす友だちたち、ありがとう、よし、もっと遠くまで行こう、
アナログ Just Music ECM1002は吉祥寺のディスクインにあったんだよ、国立市のディスクインも品揃え別格でさー、ノートランクスのマスターでしょう、スレッギル関連を常備していたのは都内でもここだけだったよ、好きなものしか聴かないで府中競馬場に通ってたまに当たるとCD買うくらい、
この10年すっかりCD買える生活ではなくなった、お年玉も旅行もコンサートもデートもゼロ行進だ、じっと手をみる石川啄木だ、
宮台真司
ヒラメ・キョロメの劣等性を、社会学は「価値的貫徹より学習的適応の優位」と記述。悲劇によって贖われた共有財たる「社会」にコミットする価値的貫徹の代わりに、日本では地縁共同体の想像的拡張が与える「世間」への学習的適応が 「まともさ」を支えたが、地縁空洞化で「世間」が消え、野放図が残った
が、ピアノや薩摩琵琶を娘に習わせるほど豊かな生活を送り、そしてそれらの楽器を満洲まで 持って行った感覚に、驚くばかりなのだ。
この開拓団が満洲に入植したのは昭和十八十九年。 すでに二葉町の人たちが強制疎開させ られ、武蔵小山に移り始めた時期だ。帝都・東京が戦火に包まれそうだという見込みが広がり つつある中、なぜ満洲は大丈夫という思考回路になってしまうのか。「そういう時代だった」 「国に騙された」「お上の言うことを信じる時代だった」で済ませられる話なのだろうか。
こんなことなら、国のためなどと大それた考 をするのではなかった。在郷軍人の分会 長になったり、青年教育に心身を打ち込んだり、自分の家業を棄て、果ては満州にまで来 てしまった。その上、可愛い妻子を死なせ、団員家族の多数をも死なせてしまったのだ。 […] 私が満州へ行こうとさえ言わなかったら、商人の人達もこんなに大勢ついては来な かっただろう。 […] 団長の山崎君にしても、私が副団長として全身全霊を満洲開拓に捧 げるとさえ言わなければ、彼とてまさか満洲くんだりまで来はしなかっただろう。 皆さん 許して下さい。(九六九七頁)
結束力の強い組織で、一部の幹部が功名心をかきたてられて愛国心を発揮し、住民の判断力 を狂わせた挙げ句、多くの人が命を失う不幸が、武蔵小山に起きていた。
ラジオ音源、カシーバー、
コンボラキアス、
01月20日(金)
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