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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■「うた」の現在はどこにあるのか 高橋悠治/藤井貞和 対談
Caroline, No / The Beach Boys 1966
Caroline Goodbye / Colin Blunstone 1971
O Caroline / Matching Mole 1971
Caroline Says II / Lou Reed 1973
Caroline Says / Marc & the Mambas 1982
あべのハルカス 300
虎ノ門・麻布台プロジェクト 330 2023
Torch Tower 390 2027
高橋悠治
音楽の話から行きましょうか。アジアには二千五百年くらいの音楽の伝統があり、ヨーロッパにも五百年くらいの伝統がある。 そこでは音楽がないと困る社会があったわけです。 いまは音楽がなくてもだれも困らない。そういうところで成り立ちが違う。どこが違うのか、既にできあがった音楽を分析し てもなかなかわからない。だから”おとを出すこと"がどういうことかを出しながら観察する。そこから始めて理論を建て直す。それが今やろうと思っていることなんです。この五、六年、三味線を習っていて、この楽器が都合がいいのはそういうところです。体の位置とその動きによって、自分が何をしているのかを自分で判断する。 それを見ないで感じる。音が出れば、同時に自分の耳で聞くわけですから、聞いたときに何が起こっているのか自分でわかる。そこから始めるということは、それをくり返しやる。くり返しやるとだんだんわかってくることがあり、同時にわからなくなってくることがある。そのバランス をとるのが難しくて、くり返すというところにバランスが片寄ってしまうと理論"がで きあがってしまう。たとえば一ばち、二ばちというふうにやっていると、だんだんリズムになってくるでしょう。自分がこれをやっているというのを忘れた瞬間に、それは体の外 側にある自立したリズムになるわけです。 あるいは、左手の指がどこにあるのか、感じることなく動かしているうちに、音階なんかができあがってくる。これはぜんぶコンセプトになり、抽象的になってしまう。抽象的なものがまずあって、それに合わせて音を出すと なると、完全に逆転してしまって、既にある "音楽"ができてしまうわけです。それをどうやって避けるのかがたいへん難しいところ で、"音楽"ができあがらないギリギリのところにとどまるための一つの技法を考えなけ ればならない。たとえば「拍」が確立しない ようにいつも揺り動かしていなければならない。ビアノでもそこに手を置くときに、置いた音から発想すると、 ハーモニーとかにすぐに落ち込んでしまうわけだから、ある位置を決めておいて、そこからどうやって自由に動かせる範囲に留めておくか。それはなかなか 難しい。どうやっていいかもよくわからないし、それを自分でやるのもいいんだけれど、人にどういうふうにやってもらうか。楽譜を書いて作品になるわけではないから、作りな がら、これをちょっと練習してみる、それをまた変えてみるというふうにやるわけです。これは理論といっても、コンセプトを使わずに、ブラクティスに留まることにこだわっているかぎり、なかなかできあがってこない理論です。そういうところが出発点なんですね。
「うた」の現在はどこにあるのか 高橋悠治/藤井貞和 対談
現代詩手帖 1998.5 日本音楽の発生-唱歌/童謡/軍歌
12月19日(月)
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