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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■高橋佑成&中牟礼貞則 Nu (ヌー) 2022



“拙者”という言葉からござる勢を招集するお天気お姉さん【駒木結衣×大島璃音×戸北美月×高山奈々】 [ウェザーニュースLIVE]

https://www.youtube.com/watch?v=mgCO0QIcfH4

今日から拙者、侍になるでごじゃる、




なんかさー八重洲ブックセンターも来春閉める渋谷ジュンク堂も閉めた、うちの平和台駅前あゆみブックスなくなったら困るよね、品揃えなかなか攻めてるし、幸徳秋水の二十世の怪物光文社古典新訳文庫取り寄せで、幸徳秋水は時代をはるかに先行していたのでは?と思うなり、


『書物というウイルス 21世紀思想の前線 福嶋亮大』blueprint 2022
Real Sound Collection

あらかじめ用意した理論体系に
都合のいい例を当てはめるのではない。
多種多様な書物を、各々の文脈を考慮して批評し、
そのコラージュによって大きな構図を浮かび上がらせる。
優れた批評家にしか描けない、
これは驚きと発見に満ちた時代精神の天気図だ。
-浅田 彰


久しぶりに本買う、




『モーツァルトの至高性 音楽に架かる バタイユの思想』
sakai takeshi 酒井健
青土社 2022

バタイユからモーツァルトへ橋を架ける


バタイユは芸術をその根源の宗教的な次元に立ち返って捉えた。曰く、「ここで我々にとって重 要なのは次のことなのだ。芸術が、その本質において、そしてその実践においても、この宗教的な 侵犯の瞬間を表現している。芸術だけが唯一この瞬間を十分重く表現している。芸術こそが侵犯の 解決になっているということなのである。侵犯の状態こそが、より深く豊かで驚異的な世界への、一言で言うと聖なる世界への、欲望、要求を引き起こしているのである」(バタイユ「ラスコーあるい は芸術の誕生」)。彼の言う「宗教的な侵犯」とは宗教の祭儀の核心にある供犠のことだ。社会の道徳 では禁じられていることを供犠が侵すがゆえにこう表現されている。




永寿総合病院まえの一通を浅草方面へ、ゆるりと、レストランベア本店、店構え、古き良き下町の昭和の洋食屋さん、すごくしあわせ、
スペシャルランチ
(ロースピカタ エビフライ魚バター焼きお新香)

ピカタ、ってなに?、食べたけど、





高橋佑成&中牟礼貞則
Nu (ヌー) 2022

高橋佑成29ピアノ、中牟礼貞則89ギター、デュオ、

スタンダード曲を中心にしながら、お互いのオリジナル曲、さらに2人の気持ち良いインプロ曲が彩りを添える作品となりました。
「縫って、ほどけて、また縫って。折り重なる自由な音楽。」

ラジオでジャズ聴いてこれはアメリカ、ヨーロッパ、日本と判断するの、ある、

むかしはロックやポップスでブリティッシュだアメリカンだと判断してたよ、

インプロを聴くとき、出身国を感じたり、それは母国語を繰る身体に由来するものではないかと、思ったりもしたものだ、

もちろん、それ以前に、そこで何か起きているか、行われているか、

いい演奏を聴くと、関係のないことばかり書いてしまう、



12月15日(木)
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