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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■今さら老兵が?と思ったけど "最初に井戸を掘った人”ということらしい
1000tracks USBプロジェクト、CANに萌えまくる耳の身体になるとは今日まで思ってもみなかった Anthology 1995、昨夜西野カナとカモメとディアンジェロとバァッファロースプリングフィールドセカンドを入れててバランス取りで入れていたのだ、不思議な体験、あ、ユーミン入れなきゃな、
平和台図書館へステレオ誌ECM特集読みに出かけようと思っていたのだが糖尿病みで断熱、今日になったら実物が欲しくてたまらない、ECM代表作4枚をカラーにディスプレイされた誌面の美しさ、タブララサとオフィチウムとあと二枚なんだっけ?全体的に白い誌面になってるしとにかく正しい選盤なのだ、オレには挙げられない説得ある4枚、稲岡邦彌さすがだ、感服だ、じっくり読まねば、本屋に注文せねば、
老舗の月刊オーディオ誌「STEREO」が "ECM特集”を組むというので僕も駆り出された。今さら老兵が?と思ったけど "最初に井戸を掘った人”ということらしい。ECM音源を使ったスピーカーの鳴き合わせ、及川公生さんのキース・ジャレット・ソロ@サントリー・ホール録音レポート、福盛進也、田中鮎美ら新世代へのインタヴュー(老兵稲岡も創成期インタヴュー。僕は他にECM入門アルバム4作担当)など興味深い記事満載。"ECM私的名盤" ではあの "ハードバップの伝道師” を自認する寺島靖國氏も登場、最近 ECMサウンドにどっぷりという氏の宗旨替えぶり(かつては Blue Noteとルディ・ヴァン・ゲルダーを信奉)に興味が湧く。発売は1月19日...。」稲岡さんの投稿
「おまえたち、よく私の話を聞きなさい。 お父さんが倒れてしまった今、私は一生懸命、おまえたちを育てるつもりです。たとえ私の口に何も入らなくても、おまえたちにはひもじい思いをさせることはしないから。私の命を懸けておまえたちを育てます。おまえたちは私の命なのだから」
そのとき、 田漢九歳、田洪六歳、田源三歳だった。村人たちは田家の窮状を目にし、誰もが心を痛めていた。
『田漢と李大氈@でんかんとりたいしょう 田偉 でんい TIAN 'WEI 』 論創社 2021
中国国歌「義勇軍行進曲」作詞をした田漢の伝記、
『資本主義・デモクラシー・エコロジー 危機の時代の「突破口」を求めて』千葉眞 筑摩選書 2022
これを読めるひと、えらいですm
『禅についての十五章 孫昌武著 衣川賢次訳』 東方書店 2021
禅宗は「不立文字」を標榜し、「説かずして説く」、「意は言外に在る」ようにし、また一方では「言を承くる者は うしな 喪い、句に滞る者は迷う」と言って、禅機を解さないで言句に執着するのは「鈍根」だと見なしていた。 前章にさまざまに引用してきた語録に多くの対間、反語、譬喩、象徴、聯想などの修辞的技法が用いられているのは、常識情解 を打破するためであって、その結果しばしば非理性的、反論理的な問答となっている。慧供は禅を語る際には「死句」を用いてはならないと言い(慧洪の「林間録」に「語のなかに語があるのは〈死句〉である」と言う。「死句」とは常識情解を超越できず、疑惑を起こして通常の見かたを転換する契機にならない言葉を指す)、道融は「葛藤」を避けよと言い道融の「叢林盛事」に言う、「禅家においては大事な事を言うのに、絡まった蔓に気を取られて根幹を直指しないのを〈葛藤〉と呼ぶ」。言葉に執着し、弄ぶのが「葛藤禅」である) と言い、耶律楚材 (一一九〇~一二四四、契丹人、号は湛然居士。モンゴルの太祖 ばんしょうぎょうしゅう チンギス・ハーン、太宗オゴタイの政治を輔佐し、禅に深い関心を持ち、 万松行秀に師事し、詩文に優れていた)は「公案をただの話の種にして、猾頭禅をひけらかしていたが、 万松行秀老師に出逢い、驚馬に鞭たれた」と言っている。朱熹はつぎのように言う。
02月24日(木)
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