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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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五野洋さんのFB投稿記事
ポール・モチアンとパウンドケーキ
ポール・モチアンに初めて会ったのは1988年1月厳寒のニューヨークだった。
前年、念願のジャズ担当になって初のニューヨーク出張だ。取材インタヴューとカメラをお願いした故成田正さん(2017年11月17日に亡くなったのでもう1年経ってしまった)が同行してくれたので心強かったが、初めてJFK空港に降り立った時はさすがに緊張した。成田さんとタクシー乗り場に向かって歩いているとタクシー・ドライヴァーに声をかけられ車に連れて行かれた。イエロー・キャブではなかったので、まずいんじゃないですか、と成田さんに言ったが、料金48ドルは妥当らしく、そのままスタート。ところが、空港を出て直ぐに止まりもう一人仲間らしいのが助手席に乗って来た。これは怪しいと感じ料金を再確認すると一人48ドルだから、二人で96ドルだと最悪の展開になって来た。成田さんが外を見ながら道は合っている事を確認、ひとまず身の危険はなさそうなので諦めて大人しくしているとミスター・オーはまだ巨人の監督か、などと聞いてくる。適当に答えている内にマンハッタンの夜景が見えて来た。映画でよく観た高層ビル群の林立だ。この時ばかりは怖さも忘れ初めて観るその迫力に圧倒された。目的のホテルに着いたので、悔しまぎれに釣りはいらないよ、と1ドル札を出したら、ドライヴァーの顔が豹変したので慌てて100ドルを出し「レシート・プリーズ」と叫んだのだった。初ニューヨークの授業料は高かったです。
初めてのニューヨーク出張なのであれもこれもと予定を詰め込み過ぎ2週間の強行軍になってしまったが、メインはポール・モチアンのインタヴューとカサンドラ・ウィルソンのレコーディング。
ポールとはプロデューサーのステファン・ウィンターを介してマンハッタンのレストランで食事しながら取材する事になった。ポール・モチアンはビル・フリゼール(g)、ジョー・ロヴァーノ(ts)とベースレスのトリオを組んでおり、このトリオでセロニアス・モンクの曲を演奏したらユニークな面白いアルバムが出来るに違いない、と話は盛り上がった。タイトルは「モンク・イン・モチアン」。この時成田さんが撮影したポールのポートレートを本人もプロデューサーも気に入り、後日そのアルバムの中に使われた。
翌年、九段会館のジョルジュ・グランツ・コンサート・ジャズ・バンドの来日コンサートでポールに再会した。日野元彦さんのトラで参加したのだが、ポールのドラムはビッグバンド向きとは思えず、楽屋で会った本人もさかんに照れていたのを思い出す。
ポールとはその後もオン・ブロードウェイ・シリーズやビル・エヴァンス・トリビュートなど数々のアルバムを作った。一見とっつきにくそうだがジョーク大好きで童心を忘れない素晴らしい人物だった。一人暮らしのポールは留守電の使い方もユニークで、電話しても留守電から何の音もしない無音状態が続く。初めて電話した人は変に思って切ってしまうので迷惑電話の防止になるそうだ。ポールのあのユニークなドラミングにも通じる変則留守電だ。
ビル・フリゼールもジョー・ロヴァーノも今や世界的なミュージシャンになったが、ウォルフガング・ムースピールやカート・ローゼンウィンケルなどポールのバンドから巣立った若手も多い。
一方でキース・ジャレットやチャーリー・ヘイデンなどとも長い付き合いで、あの自由なドラミングに包み込まれると誰でも癖になるということか。
一度キース・ジャレットのニュージャージー自宅取材をした折、キースが録音したばかりで発売するかどうかわからないというDATをかけてくれた事がある。トリオのライヴでベースは明らかにゲイリー・ピーコックだがドラムがジャック・ディジョネットではない。素晴らしい録音と演奏でニヤニヤしながらキースと目が合った。ポール?と聞いたら、ニヤっと笑って頷いた。若い頃から演奏して来たディアー・ヘッド・インというペンシルヴェイニア州の小さなクラブに急遽出演、ジャックが無理だったのでポールに頼んだら大正解、これは世に出すべきだよね、と興奮しながら語るキースは上機嫌だった。
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12月03日(月)
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