ID:7590
Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■福島恵一「耳の枠はずし」 音は自らの響くべき空間を必要とする ― 「タダマス29」レヴュー
wrote Face Book
”音は自らの響くべき空間を必要とする”、映画のタイトルのようだ、そのココロはおれのことけ?と言おうものなら背後から益子さんにハリセンくらいそうだが、は、さておき、これは重要な宣言のように思えるのだが。
福島恵一「耳の枠はずし」
音は自らの響くべき空間を必要とする ― 「タダマス29」レヴュー
Sounds Need Spaces Where They Ought to Actualize Themselves
■
Susie Ibarra盤『Perception』は好きくないと思っていたが、福島レビューにあった「Dreamtime Ensembleというベタな名前」がトリガーとなり、一気にはまり込む事態になる、”生真面目に入り組ませた演奏を楽しんでいる”今さらどうして?感が、「夢みる感覚」と一歩下がった聴取をすることでドープな独自感に囚われ逃げられなくなっている、
ウィリアムパーカー入りのデヴィッドSウェア4のタイコでいいだけ聴いていたのにスージー・イバラ、このおっそろしー才覚にタダマスの後になって気付いています、
Mary Halvorsonの『Code Girl』に、Michael Mantler『The Hapless Child』連想、(!)、
すごい福島恵一の耳の引き出しだ、マントラ−のそれは苦手だった20代だったが聴き直したら、こんなに好きな音楽だったとは!(いやもう初めて聴くに等しい30年越えの聴取だ)、Code Girlへの連想、羽生名人の光速の寄りみたいだ、
Son Lux album "Brighter Wounds"に、「ヴォーカルはアントニーだな、見る構造はスフィアン『エイジオブアッズ』2010が拓いた地平にある/参照点になっている」牽制球、は、益子さんからサウンドの感触は随分違いますよと指摘されたとおり、わたしの偏見である、”構築感”ということではプログレッシヴロックのほうが先達だ、”創造狂気の密度感”といったもの、これがデフォルトになった世界観というのかなあ、
福島恵一の耳の引き出しはここでMercury Rev『All Is Dream』(2001年)を掲げる、マーキュリー・レヴ聴いたことないや、早速聴く、わお!おれは大好きだ、アレンジに漂う変態性、ファンタジー、だけど福島恵一がこれをリスニングルームで鳴らしている光景が想像できない、
ECMThomas Stronen Time Is A Blind Guideも、スフィアン『エイジオブアッズ』もMercury Rev『All Is Dream』も、みんなで聴くような音楽ではない、(あれ?逆説か?ライブは盛況だぞ)、
「草原の輝き」「夜明けのスキャット」「また逢う日まで」「心の旅」を集中聴取した小学生のわたしの耳は、歌詞/旋律/声質は仮の表面であって、アレンジの電子音/リヴァーブ/ストリングス/空間のありように”その向こう側”を妄想するようであったため、ジャズよりも即興のほうが解りは早かった(清水俊彦や福島恵一の批評文は聴こえる音楽表面の”その向こう側”を示していた)、
ポップスのようなジャズは要らんがな、ジャズ好きのポップスの見下しは正当だった気がしたけれどそのジャズはポップスよりクリシェじゃんかとなっていて、ジャズミュージシャンはジャズを見せつけろよ!とわたしは異議を唱える気持ちでいるのである、ポップスや歌謡曲を初聴きジャズ耳で聴いたほうがよっぽどトキメく場合があるんだし、(”ジャズ耳”という語はニフティECM部屋でビョルンスタ海を巡って97年頃に吉村純子ちゃんが言い出したはずだ)、
それにしても益子博之の選曲は面白い、どこをどう巡ってその音源に出会っているものか、
ジャズの特権は今を生きること(菊地雅章)を聴取に敷衍してみれば、ジャズの身体/即興の強度を基点として、耳をそばだてること、全身を触覚のようにして空間を凝視するといった構え(益子博之の言うタクタイルな聴取)に行き着くようだ、おれは「ぞぞけが立つ」サウンドであればジャンルはどこでもいいんだが、
「聴取体験を音や響きの生み出される過程から切断すること」(福島恵一)
即興/作曲/プロダクションの情報を破棄して、耳をそばだてるしかないのだ、50代最強説も援軍だ、
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05月03日(木)
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