ID:7590
Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■produced by David Sylvian and Yuko Zama
美は、いびつ、グールドが言ってた、そんなの古代から、いびつは愛の形容、
88年の明治ブルガリアヨーグルトのCMに出ていたビリアナ・バチコバ Biliana Voutchkova ちゃん、
CM You Tube > ■
知らんがな、
以前NYのアーストワイルのスタジオにデヴィッド・シルヴィアンというひとが遊びにきているよとざまさんからきいていた、いいなあ、おれはジャパンのデビューからの追っかけなんだけどな、
Blurred Music ぼやけた?焦点の定まらない演奏?
この3CD、聴いてみると、こちらの受信の枠組みを溶解させるようなところがある、インプロでもヴァンデルヴァイザーでも現代音楽でもあるような/ないような、それはフィーレコ耳を要請しているところがある、
ジャズの身体でもなく、技巧の提示でもなく、微分音である/ないでもなく、インプロする反応の強度とか瞬間的チェンジの鮮明でもなく、耳となった全身の触感によって「アトモスィアに凝視し続けること」というのか、
アトモスィアに凝視し続ける?
ほら、インプロとか現代音楽とかジャンルに居る演奏は「そこでの評価される座標軸に則っている感」というのが否めなくって、さ、
聴き手のおれたちはそんなことはうっとおしいばかりなのであって、
単純に意識の表面、身体の表面の全体でもって、それこそ触感のすべてによって「夢をみたい」だけなんだよね、
この音楽には、そのような「開放のアトモスフィア」が満ち溢れている、それはマットマネリもマイケルピサロ「July Mountain」もデビシル様SamadhiSoundとも通底していることだと発見したよ!、
なんだ、「ひとつ」だったじゃん、(禅問答のようだ)、
誤解されてはいけない、ちゃんとしたコンサートでの実況演奏だ、くだらないドリーミンな加工がなされているというもんではない念のため、
Paul Giger ECM越境サウンドに近いところもある、イマジナリーのありようはこちらのほうがリアルというか(用語の用法をよくわきまえてください)、
Violin/Voice ビリアナ・ヴァチコヴァ Biliana Voutchkova 1972-
Clarinet ミヒャエル・ティーケ Michael Thieke 1971-
produced by David Sylvian and Yuko Zama
artworks by David Sylvian
シカゴとニューヨークとフィラデルフィアでの3回のコンサート実況録音、それぞれ1時間前後、3CDでリリースされなければならないという確信、ECMは1CDならという、ちょっと全部聴いてごらんよそんなのだめでしょ、
新たに立ち上げるレーベル「elsewhere」のカタログ1番はこの3枚組になる、
ビリアナ・ヴァチコヴァのCD『Faces』2005はサーリアホやコダーイに並んで、クロード・ヴィヴィエやジョー・マネリ尊父(Joseph Maneri)の作品が並ぶ、ヴィヴィエは以前現代音楽の若手(学生かな)邦人演奏会でそのコンポジションの精緻な精神性の定着に度肝を抜かれていたままだ(その謎はそのままになっている)、
今年ヨーグルトのCMから30周年なのは知らん、
reprise
この音楽には、そのような「開放のアトモスフィア」が満ち溢れている、それはマットマネリもマイケルピサロ「July Mountain」もデビシル様SamadhiSoundとも通底していることだと発見したよ!、
なんだ、「ひとつ」だったじゃん、(禅問答のようだ)、
04月19日(木)
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