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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■さだまさし 「遙かなるクリスマス」
みすず書房、バーニー・クラウス著『野生のオーケストラが聴こえる サウンドスケープ生態学と音楽の起源』■、文字を追いはじめて数分で論旨の平坦さというか・・・。わたしたちは、音楽に音楽以上のものごとを聴き取るようになってきているという接点をこそフォーカスしてほしいのだ。
しかし、無料試聴音源がすばらしいではないか!
(65種の音風景が聴ける音声再生用ウェブサイトがある)
こないだジョン・ケージの4分33秒がカラオケ曲目表示されているのに度肝抜いたけれど、音楽のゼロは無音ではない。・・・だったら何なのだ?
危険に身構えたり未来を察知したり、兆候を知るのだ。
北海道・東北・福島と南下したとたんに雪が降っている。
通夜のさなかにみわこさんの肩に触れた俊夫の霊だったか。おれは運転疲れでわからなかった。
夏に大通公園で焼きとうもろこし食べながらアイフォンで隠し録りしたパパの声を聴いていると、死んだなんて思えない。初期設定として、胃がんの末期になるまで気付けなかったというのは、本人の医者嫌いが原因だ。身体を温め免疫を高める入浴も避けてた。夏過ぎに、激しくなる腰痛を「寝ていても痛い」つまり外因性腰痛ではない、と申告していたら、とか、検査入院では一般人と同じ要領でレントゲンを撮られていたが始終痛みの苦悶を訴えており(鉄棒で上下左右に揺らされるのだ)、病室で寝たまま撮れるレントゲンは存在するのに、その物理的な骨の軋みに癌は深く浸透した可能性はある(んがおー!)、レントゲン行為以降の医師も驚く骨髄がん転移の進行速度ではなかったか。検査入院からたった45日の旅路だった。
葬儀のあいさつでは、伯父さんがこれを機縁として親族のつながりが生まれるのが願いであるという、あまりに見事なフレーズを奏でてくれたので、喪主のわたしは変奏のアドリブを放つことができた。強烈な両親であったこと。両親の結婚までの薄氷を踏むようなやりとり、駆け引き、軌跡。おれがハネムーンの霧の摩周湖畔の宿で受精する奇跡。
衰弱してゆく父親の前で「花は枯れるのさ。種子はできるだけ遠くまで飛んで発芽するんさ。」と発言する、「兄ちゃんがあんなこと言ってるよ!」と妹に笑われていた。あの自然発生的な兄妹の語らいを父が聞いて頷いたりわからんと言ったりしていた時間。
おれと正反対で、ズルをしたりウソをついたり、道理に背いたり長いものに巻かれたりよそに好きなひとを作ったり家族に暴力をふるったり、ああしろこうしろとは一切言わない、そういう父親だった。それはそれは見事な人生だ。半沢直樹を地で行く反抗的な銀行員、闘う銀行員だった。「倍返しだ!カッカッカッ」とミユキばあちゃん譲りの笑顔で闘病を開始していたのにな。
野球帽を反対にかぶって組合員のキャンプで笑顔で振り向いている写真がある。
末期がんを告知したのもおれだし、死んだら肩に乗れと死神のように冷徹な言葉を突きつけたのもおれ。ひでえ息子だよな。
葬儀を終えて妹とふたりで居間で話していたら、「あんたたち、仲いいねえ」と、おふくろの声。
年齢も距離も離れているからだよ!
パパもママもいなくなったねえ、と、4にんで暮らしていた風景の中にいて、置いてけぼりをくったような気持ちでいたんさ、泣きそうな顔をして笑っていたんさ。
東京から車に乗って、青森も函館も札幌も、地面がつながっていることを実感したかったのだ。高速道路を走らずに砂川と函館を走りたかったのだし、それらは親族との記憶の再現であった。
清志伯父さんが函館から砂川へ向かう途中の黒松内で事故に遭い(昭和44年頃か?)、そのときの輸血で肝炎を患った経緯があるけれど、このおれが黒松内で一瞬睡魔に襲われそうになったのにはびびった。
仏壇が真っ黒で見えずその前は水面で炎が漂っていた。ママに助けを求めてしがみついた。工場の二階の台所の窓から黒焦げの男性が斜めに硬直してぼくを見下ろしていた。
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11月27日(水)
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