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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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R.I.P. Paul Motian 1931.3.25 - 2011.11.22
「つねに現在進行形で変貌と深化を遂げる現代のジャズ。気がつけば本場アメリカのブルーズの求心力を失い、ジャズ本来の別の可能性である遠心力に活路を見出そうとしたとき、ECMは突然、周縁でありながら中心でもあるという奇妙な重力場へとせりだしてきた。80年代にジョー・ロヴァーノとビル・フリーゼルをピックアップした法王ポール・モチアンの軌跡は、見過ごされがちだが現代ジャズの最も重要な震源だったように思う。浮遊するタイム感覚の上でお手玉や綾取りをしているような同質楽器の対話、夢の輪郭をなぞるようなサウンド……。いきなり化けたベースのトーマス・モーガンは菊地雅章とのトリオ作が予定されている。現代のすべてのサックスを手にする学生が参照点としているマーク・ターナーも捕獲された。建築鍵クレイグ・テイボーンは、「ピアノ・ソロの革命がまたもECMから」というべき作品を問うた。」
タワー・レコードのフリーペーパー「intoxicate」2011October(#94)に掲載されたばかりだった(http://tower.jp/article/feature/2011/11/07/eg_manfred_eicher)。
CD仲間と夜会と称して坂本真綾の「Feel Myself」やACOの『irony』、Cuusheの『Red Rocket Telepathy』を聴いて、CD棚にポール・モチアンのリーダー作が並んでいるのを指でなでながら「そういえば容態が悪いみたいだけど・・・」と話して、部屋に戻ったら訃報が届いていた。
70年代にトリオ・レコードで稲岡さんとECMを担当していた原田和男さんが、モチアンの「It Should’ve Happened A Long Time Ago」の動画をFace Bookでシェアして哀悼の意を表した。この曲は、モチアンが80年代初頭に2人の俊英ジョー•ロヴァーノとビル•フリーゼルと組んだトリオがECMで出した初作の1曲目、タイトルナンバーだ。このトリオが、その後の現代ジャズの可能性を開いた。この人選に当時パット•メセニーが絡んでいたというのは唐突な気がしていたが、なるほど、ともに夢見るような資質において同じだったかと、今さらながらに気付かされていた。
70年から2年滞在した日本で失意にあったゲイリー•ピーコックは、菊地雅章らと2枚の録音を残している。これを聴いてECMアイヒャーは録音オファーを彼らに伸ばしたが実らなかった(ここでゲイリーとプーさんが世界標準化していたら、またジャズの歴史は異なったものになっていたはずだ)。ピーコックの孤高は、ラファロ以降の、であり、アイラーと革命同志であったところか。時を経て、90年に菊地とピーコックはトリオを構想したときに「rubber drummer…時間を伸び縮みさせられるのはPaulしかいない!」とモチアンを招いてテザート•ムーンが結成されている。
この90年にモチアンはロヴァーノ、フリーゼルとのトリオを拡張した編成で、エレクトリック•ビバップ•バンドを開始、それが現代のNYジャズシーンを文字通り形成した。サックス陣はロヴァーノに続いてジョシュア・レッドマンやクリス・ポッター、トニー・マラビー、クリス・チークらが、ギター陣はフリーゼルに続いてカート・ローゼンウィンケル、ウォルフガング・ムートシュピール、ベン・モンダー、ヤコブ・ブロらがモチアンのバンドで次々に変容開花していった。ミュージシャンたちはいつの時代も獰猛に新言語を察知しあっている。
タガララジオ21(http://www.jazztokyo.com/column/tagara/tagara-21.html)で書いた、2011年、今年のニューヨークのタウン誌が掲載した現代ジャズ・アイコン・ベスト25が、1位が法王ポール・モチアン、2位が魔王ウイリアム・パーカー、3位があらい熊ウイントンマルサリス、4位は覇王ヘンリー・スレッギルであったこと、は、やっぱり書いておきたい。まったく正当である。
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11月03日(木)
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