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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■女たちのシアター・ピース 『コワレタイ −昭和の少女たち− 』@紀尾井ホール

モテットの2曲目の響き、だったかな、見た目はおばさんたちだけど、音楽の神さまはおんなだというのは言えてるよなー、と、
ひかりを感じたな彼女たちに、と、スッと感じたところから、すでにこの日のプログラムは仕掛けられていたのだろうか?

『月夜の木馬 女声(童声)合唱とピアノのために 作詞:鈴木敏史 作曲:寺嶋陸也 』(2007)
信州・諏訪の詩人、鈴木敏史(としちか)、の、詩。うおお、野口雨情をこえるこのラインの詩人がいるのか。この、シンプルさ素朴さという形容では済まされない、コトバの結晶。

寺嶋の作曲が、それにまた合っているのだ、おいらはもうコンサートの前半を終わったら速攻でCD売り場に行って「おねえさん、いまやった曲のCDある?」ときいた。おねえさんは「まだCDにはなっていません」という。寺嶋さんのピアノの・・・と思ってCDを手にしていたら、「この2つはすばらしいですよ」ととなりからこの世のものと思えないうつくしい女性が話しかけてきて、「合唱は入ってませんけど」などという。

なんと!それは寺嶋陸也のピアノリサイタルライブ盤2CDとコジマ録音の作品集『大陸・半島・島』という2つのCDだった(写真)。泉鏡花の高野聖になったような気持ち。

女たちのシアター・ピース 『コワレタイ −昭和の少女たち− 』 (2008年女声合唱団彩委嘱新作初演)
詩・台詞・演出:加藤直  曲:寺嶋陸也
「目を閉じて耳を澄ますと」「夢を見る・1」「尻尾」「四日目のデクノボウたち」「男か女か?」「夢を見る・2」「隣のミツハルさん」「コトバ・別のワタシの」「コワレタイ」「ワタシとウタとツキ」「ツキがない−平成の少女たちが歌う」「千の同じ顔をした少女たち」「マイニチ オンナ」「シンゴオ」「終章」の15のパートに分かれている。
踊るわけではないからオペレッタではなくてシアターピースになるのかな。ドレスを着た合唱団ではなく、それぞれ女性としておしゃれをした衣装、和服からジーンズまで、10代から60代までのさまざまな女性たち、が、語り、歌う。ときに昭和の詩人・エロジジイ金子光晴の詩を歌い、語る。コワレタイは「壊れたい」と「乞われたい」であり、「恋われたい」でもあるのか。加藤直が「もしかしたらボクは古代ギリシアの喜劇アリストファネス「女の平和」の現代版を書こうとしたのかもしれない」と書く。
終章で、満月の夜、すべてを投げ出してオンナたちはママチャリに乗って公園に集まる。その集まるシーン、には、それぞれのオンナが投げ出してきたものが彼女たちの歌う声や洋服の柄に映るようなところがあった。寺嶋のピアノがミニマル的だったのでフィリップ・グラス『コヤニスカッティ』さながらに、それぞれのおばさんたちの人生の絵巻物がラッシュする。
いやいやいや、これは加藤直さんの創作ですから。いえいえいえ、合唱団のおばさんたちの絵巻物が見えましたから。

なんともオジサンとして聴いていてひとりひとりのおばさんがいとおしくなるようなすばらしいコンサートでした。

「でもね 子供というのは謎だわ。このお腹の中に 命が芽生える訳よ。勿論 私の子供だわ。 大切に育てるわよね。 けれど 一人前になるかならないうちに そいつ 或る日突然 プイッと見知らぬ他人になってしまうのよね。」
なんか心に残りました。まあ、人間もまた単なる遺伝子の乗り物に過ぎないのではありますから、おれなんかも子どもができた時点で生きる任務終了してんだが。女性にとって、コトバにすると、そんなカンジなのかな・・・。いえいえいえ、加藤直さんの創作?いやいやいや。

こないだ日記で■三善晃と宗左近の対談にあとで読もうと思ってリンクを張っておいてて、さっき読んだらなんだかおれが感じたことと同じよなことを話していて、ことさらアマチュアの合唱団を持ち上げてプロをバッシングするつもりはないんだけど、
やはり、合唱団を率いる栗山文昭さんとピアノ・作曲の寺嶋陸也さん、このふたりがまずはすごいんだと思う。プロの板前とホンモノの包丁とまな板みたいな。材料の新鮮さは、合唱団のみなさんの情熱とか楽しみとか熱意といったものなのだ。

パンフレットに栗山文昭さんが書いた短いテキスト「オバ讃歌」、から。

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02月28日(木)
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