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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■インプロの消滅、あるいはフィードバック現象としての即興
益子 記譜された音楽でも即興性がゼロの音楽って存在し得ないですからね。機械がやるんじゃない限りは。音量が少し変わるとか、音の長さが少し変わるとか、毎回違うわけですよね。だから人間が演奏する限りは即興の余地がない演奏にはなり得ない。そうした時に周りからのフィードバックを受けるか受けないかという態度の違いが大きくなっていく。すると聴くことが占める領域がどんどん大きくなっていく。

多田 よく聴かなければよく反応できないって話だよね。与えられたシチュエーションをよく聴いてわかっていなければ、どの音が一番心地よいのかを本能的に出せない。それは聴く要素と音を出す要素が拮抗してきているっていうことですよね。

益子 聴くことが極北までいくと、全く演奏しないっていう、フィールド・レコーディングに等しい状態になる。だからそれってグラデーションの問題だと僕は思っていて。フィールド・レコーディングでも聴いたものをどう切り取るのかっていう人間の作為はあるとは思うんですけど、それが極北だとすると、それに対して人間が演奏するっていう即興性のグラデーションを描いていくことができる。つまり即興性というのは聴くことに対してどのように対処するかっていうことなんですよね。

——「聴くことのない即興音楽」はどうでしょうか。たとえば『Post Improvisation』っていうデレク・ベイリーとハン・ベニンクのデュオ・アルバムがありましたよね。

多田 片方が先に演奏をしてテープに録音して、郵便(ポスト)で相手に送って、送られた相手はそれを流しながらインプロをすると。それって今の話でいうとインプロじゃないんじゃないですかっていうツッコミですね。片方は相手のことを聴いていないから。

益子 それもまた「聴く」っていう態度の反映だと思うんですよ。つまり「聴かない」っていうことも一つの選択肢であって。相手のことを全く聴かない人たちで演奏をして、面白いか面白くないかって言ったら面白いかもしれないし、実際にそういう音楽はあるわけですよね。

多田 『Post Improvisation』は演奏している人同士の「聴く」「聴かない」ということの構造をパッケージにしたということですよね。僕はとても面白く聴きましたよ。だって片方が聴いてないっていう状況って、今までそんな作品聴いたことなかったんだから。

益子 プロセスがどうなっているのかを話すのは楽しいんですけど、このプロセスがこうだから面白いとか面白くないっていうのは、あんまり意味がないんじゃないですか。

多田 うん。気持ち良いかどうかは別だから。さっきアルヴィン・ルシエの名前が出たけど、2013年のアルバムで『(Amsterdam) Memory Space』っていうのがあるのね。ルシエの作品を現代のヨーロッパのインプロヴァイザーが演奏していて、それが素晴らしいのよ。曲自体はもともとは「(Hartford) Memory Space」というタイトルで、1970年に作曲されたものなんだけども。当時演奏されたものはやっぱりその時代らしいなあっていう肌触りなの。でも今の演奏家が演奏すると、今の人たちの感覚で聴き合っていて、それこそインプロになっている。それを現代音楽の文脈だとか記譜がどうなっているかだけで語ろうとしてしまうと、その場所で本当に起こっている喜びに焦点が当たらなくなってしまうと思うんですよね。


多田雅範
益子博之

聞き手・構成 細田成嗣

11月26日(月)
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