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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■『ヌートピア宣言Mind Games/ジョン・レノン』・CDジャーナル:レーベル研究『ECMレーベル』2003年6月号
 私は読者に助言する、ECMの迷宮に手を伸ばしてはならない―――。

このレーベルを代表する10枚(2003年・暫時選定)

ヤン・ガルバレク 『オフィチウム』(1994)
 古楽合唱団ヒリアード・アンサンブルとヤン・ガルバレクのサックスを組み合わせた世界的なベスト・セラー『オフィチウム』の天上の美しさは、あまたのヒーリング・ミュージックを駆逐さえした。16Cスペインの作曲家クリストバル・デ・モラレスの曲を聴いたアイヒャーは、その感激に即座にガルバレクの音を思い描いたという。

キース・ジャレット 『ケルン・コンサート』(1975)
 ピアノ・トリオ“スタンダーズ”の活動で、かつてのピアノの貴公子は今ではジャズ・ピアノの帝王の座に君臨している。ここでは彼の人気を決定付けたピアノ・ソロ作品群から、当時の若者に「ひとはここまで美しい音楽を作れるのか」と陶酔させ、70年代のジャズ喫茶ではリクエスト禁止指定まで受けた、“時代の名作”を。

ポール・ブレイ 『ノット・トゥー、ノット・ワン』(1998)
耽美で官能的な美しさを弾く不良ピアニスト(この点で対抗できるのはコンボ・ピアノの渡邉琢磨だけだろう)であるブレイだが、彼の“スタジオに駆けつけ、タクシーを外に待たせている間に弾き終える”という即興魂(深いぞ!)は、ゲイリー・ピーコック、ポール・モチアンとの35年ぶりの邂逅でも不変であった。新たな名盤。

ジョー・マネリ 『テイルズ・オブ・ローンリーフ』(1999)
第2のプロデューサーとして辣腕を奮うスティーヴ・レイク。ジミー・ジュフリーのリイッシュー、老怪人ハル・ラッセル、エヴァン・パーカーの音響ユニット、英国トラッドの伝説ロビン・ウイリアムソン…。そして、微分音による微細なソノリティの変化に、能や狂言の表現形態とも通ずる発見をもたらすこのジョー・マネリ。

ラルフ・タウナー 『ANA』(1997)
 バルトーク+ストラヴィンスキー+スパイク・ジョーンズ、タウナーの跳ね上がるようなギターのつまびく美しさの謎は彼の幼少期の耳にあったとのこと。「Joyful Departure」は地中海に囲まれたパレルモ(彼が住む)に降り注ぐ太陽の眩さを音像にしたかのよう。名作『Diary』(1974)を超えるギター・ソロ作品を作ったのだ。

ディノ・サルーシ 『Kultrum』(1983)
 このバンドネオン奏者の登場は衝撃だった。喪失した故郷への強烈な想いと生き残ってしまった者の夜の孤独を描く、アストラ・ピアソラ以降に(タンゴとも訣別して)出現するに相応しい音だ。抑え切れない生々しい演奏は安易な自然讃歌を突き崩す。初期の『Kultrum』『Andina』『Mojotoro』はいまだに胸を掻きむしるものだ。

アルヴォ・ペルト 『テ・デウム』(1993)
 エストニア出身の作曲家ペルトの作品を規定する全音階上の音と休符だけによるティンティナブリ(鈴鳴らし)様式とは、“祈り”の導入にほかならない。「私の音楽は、あらゆる色を含む白色光に喩えることができよう」という発言はあまりにも知的ではない気がするが、宗教的崇高を呈示できる才能とはそういうものなのかもしれない。

メレディス・モンク 『ヴォルケイノ・ソングス』(1996)
 モンクは演劇出身で、変幻自在のヴォーカリゼーションを駆使し即興的パフォーマンスを通して“声楽音響劇”というスタイルを築き上げた。ここでは声を純粋に楽器のように扱いながら、次第に自然描写への傾倒が明らかになった本作を挙げた。アカペラ・デュエットの「Walking Song」の突出した美しさにも注目。

ECMレコード社にはこれまで傘下に4つのレーベルを抱えているのでその紹介を。
「WATT」
歴史的作品チャーリー・ヘイデン『リベレーション・ミュージック・オーケストラ』でのもうひとりの主犯、カーラ・ブレイが主体のレーベル。最新作は彼女にとってのアメリカをテーマにした7年ぶりのビック・バンド(写真)。
「Japo」

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01月15日(木)
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