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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■インプロの消滅、あるいはフィードバック現象としての即興
益子 音を聴くだけじゃわかんないですよ、即興なのかどうかっていうのは。一番エピソードとして面白いのは、ヨゼフ・デュムランの新しいアルバムが出てて、珍しくフェンダー・ローズじゃなくてアコースティック・ピアノしか弾いてないんですけど、そのバンドの成り立ちが面白くて。デュムランが即興ばっかりやってるから、久しぶりに自分の曲をやるバンドがやりたいなって言ってメンバーを集めてやったんですよ。でもやってみたら即興の方がいいじゃんってことになって(笑)。だから全編即興のアルバムになったんですが、聴いてみると、かなりコンポジションされてるように聴こえるんですよ。だから実際にやってることと聴こえ方ってやっぱり違う。そしてデュムランは自分が意図してやりたいことを譜面に書かなくても、バンドで即興でやればできてしまうっていうことなんですよね。
多田 現代ジャズにおいてインプロだけを取り出して語ることの意味は僕はあまりピンとこないですね。たとえばインプロっていうものにもなぜか歴史がありますよね。デレク・ベイリーの変遷とかですね、エヴァン・パーカーが出てきてとか。最近っていうほどでもないけど、そこにミッシェル・ドネダっていう人が出てきたでしょ。ドネダは演奏の果てに自分の個性も消して、風景の音楽とか自然の音だとか、つまりフィールド・レコーディング的なものへとどんどん近づいて無名性を獲得していった。僕はもうそれはインプロっていうジャンル自体が消滅したんだっていう認識なんですよ。ミッシェル・ドネダ以降にインプロは成り立たないだろうと考えていて。そういう無名性や自然への回帰と、ジャズにおける生々しい演奏が、トーンとか響きへと移行していって、誰でもないものになっていくこと。もしくは演奏する/演奏しないっていう行為が等価になる、つまり聴こえないものにも同じ価値を聴くようなアンテナが要請される時代になったこと。それは哲学的な事態でもあると思うんだけども。
益子 ある音楽が即興によるものかどうかってことよりも、即興に対する態度の問題が重要になってきていると思うんですよね。演奏をする、音を出すっていうこと自体は、周りの音を聴いてなくてもできるんですよ。譜面に書いてあればそれを見ながらその通りにやればいいわけだし、即興でも周りを聴かずにただ出したい音を出せばできるわけですよね。けれどもたとえばソロ演奏をやるということは、その場の環境によって音の響き方が変わるということでもある。とても残響が長いところもあれば短いところもあるし、音が甲高く響くところもあれば低音が強調されてしまうところもある。つまり自分が音を出した時に聴こえてくる、その場所に特有の響き方というものがあって、ソロ演奏ではその響き方から影響を受けることがある。周りをどれだけ聴いてどれだけ影響を受けるのか、そこに今の即興演奏の面白さの問題が詰まっていると思うんですよね。
——つまり即興演奏をフィードバックの問題系として捉えるということですよね。
益子 そうそう。聴くことの優位というか。
多田 フィードバックの面白さですよ。お互いに聴いてない演奏っていうのもあるからね。大抵は酷い演奏だけど。
益子 全く相手のことを聴いてなくたって、コード展開が決まっていてそれに乗って吹けばいいような音楽はできちゃいますからね。だけど即興演奏って相手を聴かないとできないんですよ。
多田 聴こえていない音も含めて聴かないとできないよね。
——この前アルヴィン・ルシエが来日して、トーク・イベントで「即興は存在しない」という話を持ち出していたんですよ。彼は自分が作った作品をパフォーマンスではないもの、即興ではないものとして考えている。でもたとえば「I Am Sitting in a Room」が代表的ですが、彼の作品というのはその場所の環境とのフィードバック現象を発生させることによって、どんどんサウンドを変えていくというものなんですよね。つまり今議論しているような意味での「即興」の核心を突いたものとも言えるわけですね。
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11月26日(月)
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