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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■ジャパニーズアイス櫻花
 夏登山をしていて涼し気な川のせせらぎに耳を奪われる事などは、それはあまりにも自然な事として、その聴取のあり方を音楽と比較して考えた事などなかったが、この時の「物音」にはまるで面白い音楽を聴いているような興奮を覚えて新鮮な体験だった。表現を意図して発せられた音楽ではなくとも、感動を得る「音」と云うものがある。そうはっきりと認識をした最初の体験だったかもしれない。その時の画家が誰だったかは全く憶えていないのに、そのアトリエの中での数々の物音は今でもはっきりと耳に残っている。そしてその物音から想像させられるアトリエ内のひんやりとした空気や緊張感も、「音」の「付属物」として憶えている。

コラムを書いた時点で「30年ほど前」というのは、大学生の頃になります。
文中で夏登山にも触れていますが、川のせせらぎだけでなく、落ち葉や木の枝を踏みしめる足音、風に揺れる木の枝の音や、鳥の囀りなど登山では様々な音に囲まれ、その音のひとつひとつに結構気をとられるというか、山や森を歩いていて耳をそばだてている自分に気づくことが多かった。
文中にあるとおり、その「聴取」を音楽の「聴取」と同類に感じたり考えることは無かったけれど、この「アトリエ」の件で思い出すのは、そんな登山の「聴取」の折でも登山靴が木の枝や落ち葉を踏みしめる音や、川や湧き水の音には耳が吸い寄せられるというか、特別な何かを感じながらまさに自ら耳を向けて聴いていたのでした。
この「アトリエ」の件があっても、当時の自分はロック (当時だと渋谷のブラックホークに入り浸っていた頃です) ばかり追いかけていたわけで、すぐに実験音楽やテープコラージュやサウンドアートの世界に踏み入ったわけではありません。音を聴くことに関してはまだまだフレーミングされた中での聴取だったわけです。
ずぅ〜っと後になって、フィールドレコーディングやサウンドスケープなるものを知った時、真っ先に思い出したのが、この「アトリエ」体験でした。
「キャンバス地をこするペインティング・ナイフの音、筆洗にナイロン筆を突っ込む音、画家の座る椅子が軋む音だけが静かに響く。BGMもナレーションも無い。室内の音のほかには、家の外の鳥のさえずりや遠くを走る自動車の音が時折、小さく聴こえるだけだ。屋外の物音の小ささと、それよりは大きい室内の物音の対比」を聴くということは、今思えば「サウンドスケープ」そのものを聴くことでした。
この「サウンドスケープ」と「物音のテクスチャー」だけで成り立つ音楽 (それを音楽と言って良いのかわかりませんが) というものがあってイイんじゃなかと、この「アトリエ」体験の時に思ったのでした (このコラムの文章の後半でその事について書きました)。

06月12日(金)
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