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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■猫に戻ろう
『識者からは、映画音楽ふうだ、現代音楽水準では発注書に応じた課題の実施だ、との、上から目線ばかりだが。スコアの出生はそうだとしても、読み込んで練り上げたこの大友直人の指揮は、この東京交響楽団のちからを尽くした演奏は、どうなのだい?スコアの世界から音楽を断ずる思い上がりは不愉快だ。スコアなんてものは音楽のほんの一部であり時に有害でしかない。そんなしたり顔にはだまされないのさ(Flipper's Guitar 調で)。そして、二度とこのような録音は生成しない。この録音は受胎したのだ、奇跡を起こし、受難し、そしてやがて再生するという、クラシック世界を支える核心にあるストーリーと同型な経緯を辿る可能性は、ある。音楽は聴く者が創る。荒川修作せんせいから、ぼくはそう教わっている。』

こないだの「ガキの使い」大晦日SP!「絶対に笑ってはいけない大脱獄」マツコ・デラックス、新垣隆が奇跡の共演、を、観ていました。現代音楽の作曲家なのだから、現代音楽はオーケストラ作品なのであるから(これはわたしの持論)、新垣先生はオーケストラ作品を作るべきなのになあ、と、笑い物にされている先生が痛々しいだけでした。

さて、この『N/Y』に戻ると。新垣隆の解像度が高いピアノというのは、その反応するセンスと置かれる打音の理路整然さと強弱のつけ方の巧みさとも言える。吉田隆一のバリトン・サックスも、技巧の限りを尽くしているところがある。新垣隆のピアノはどの瞬間にも難易度の高い打音を模範解答のように響かせている、クールな鬼のようだ。この二人の身体能力からすれば、当然の見事さとも思える。二人のダンサーが丁々発止と、高度な演技を披露しているだけに聴こえる。ジャズ特有のコクとか雑味が無くて、教材感がハンパない。この演奏には、ぼくの耳を持続させる“謎”がない。演奏の質をたどるも、ヨーロッパにもアメリカにも着地しない。

プロデューサーMさんはぼくに、好みじゃないみたいだね、と指摘していた。好みという問題なのだろうか。ぼくと益子博之がやっているタダマス(四谷音盤茶会)でセレクトする現代ジャズのラインナップには乗らない。若い世代の柳樂光隆さんの Jazz The New Chapter のラインにも乗らないだろう。

むしろ、このカンペキな教材感こそが類を見ない地平か。サングラスかけて、テレビの音楽番組に出演して、このダンサブルな丁々発止をお茶の間に披露する、「あの新垣隆が!」とみんなが注目、充分に満足できるカンペキさ。ジャケのセンスもそんなかんじなのだわ。音楽界の二十面相、ゲーム音楽からジャズも現代音楽もこなす天才、新垣隆、そういう予定調和的な経路でいつかはオーケストラ作品を・・・・。ううむ、そのオーケストラ作品にわたしは期待できるだろうか。うむむ。そこんところがうまく想像できなくなってきたぞ。

“謎”のない音盤をあえておおやけのサイトでレビューしようとしているなんて、どうかしている。不健康なかんじ?

いや、むしろ新垣隆の期待に応える能力について包括的に認識するという鑑賞が要請されているのではないか。

そう考えると、少しだけ落ち着いてくるのであった。

02月11日(水)
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