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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■多田父子。アシュケナージ父子。
76歳のアシュケナージは小柄の白髪のおじいちゃん、頭一つ長身の付き人運転手のようなハンサムおじさんと登場。

さすがに老境の身動きではあるけれど、その強靭なタッチに度肝を抜いた。なるほど、これが20世紀を制覇したヴォイスだ。絶頂期のタッチを演算するように耳を傾ける。ヴォフカのピアノも、的確であり、さすが教育者の道を歩むひとの折り目の正しさである。強烈な天才スターを父に、父と同じ道を歩む息子の人知れぬ苦労も挫折もあったのではないだろうか。勝手に想像しては頭が下がる思いがする。

息をのむという突き詰めはない。クールにゆとりを持って合わせて音符を組み上げている。異なるピアノを弾いているのか、ピアノの向きでこんなに響きが異なるのか、二人のピアノタッチの差異なのか。二人のピアノ・タッチの質量の差といったものは明白で、それは巧拙というものではなく、おそらくピアニストとしての性質の違いだ。どう歩み出ても猛獣であるような父親のピアノに、高性能コンピューターで最適解を瞬時に突きあう図式が見える。音楽はばっちり合っている。合うことがこの音楽の生命線であるかのように、父子はその瞬間の連なりを呼吸しているのだった。

そしてシューベルトもブラームスも、同じように楽譜が視界に映るような演奏だった。

2台のピアノ連弾で、シューベルトやブラームスのオーラを漂わす演奏は不可能なのかもしれない。そういうカタチの楽譜の演奏、味わうべきは二人のピアノタッチのコンビネーションの妙、だということは了解できた。2台のピアノで弾くオーケストラのような響きを堪能する、それ以上でも、それ以下でもない。それだけでもかなりな高水準な技能なのだ。

ストラヴィンスキーの『春の祭典』は20世紀を創った楽曲だと、評価している。特別な、デモーニッシュな、革命的な音楽だ。これの2台ピアノ連弾版をストラヴィンスキーは書いていた。知らなかった。可能なのだろうか。可能なのだろうか?ストラヴィンスキーにきいてみたい気がする。アシュケナージ父子は、前半のシューベルトやブラームスと同じように楽譜が視界に映るようにしか弾けないでいる。アシュケナージ父子をもってしても、精密な曲芸以上にはトリップさせられないでいるではないか。

アシュケナージの新作は、アニメーション作品『スノーマン』のテーマ曲「ウォーキング・イン・ジ・エア」を含めたハッワード・ブレイク作品集だという。『スノーマン』は、幼少期の記憶を召喚して誰もがお布団の上を飛んで行ってしまうという、類まれなコアな作品だ。この旋律の喚起に抗うことはできない。アシュケナージの老境が、この旋律を弾くというのは、とても21世紀的なことだと感じる。ポピュラー音楽を愛好するわたしは大歓迎だ。

03月10日(月)
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