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Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review @ Tokyo
by Niseko-Rossy Pi-Pikoe
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■晴れた新宿御苑を赤いリュックでマイナスイオン散歩しながら図書館めぐり
ぜひおぼえておいてほしい。年間ベストにモチアントリオ2000+2のヴィレッジヴァンガードライブ盤を挙げたのは、おいらと湯浅学さん(CDジャーナル)だけだったということを。クリス・ポッターをしっかりと把握していたのは、おいらと菊地雅章とマイケル・ブレッカー(インタビュー)と後藤雅洋さん(サイト)とユニオンの四浦研治(無料冊子)だったということも。
このところおやじカンタービレ状態で、クラシックのライブ評をまとめる作業をしている。こっちのジャンルは素人ぶって書いてはみるけれども、おいらの耳の正しさは自分が、自分だけが、よくわかっておるのじゃ。さ来月はヴェルディの歌劇『椿姫』を観る。
いずれわたしは音楽監査人を自称する心づもりでもあり、時間が許せば音楽雑誌の記述やライナーなども監査の俎上にのせる。76ねんモノの高橋悠治のゴルトベルクを聴きたまえ。はっきり言って、耳の感覚の視界は一変する。たまたま聴いたジャレットの青春の怪演『心の瞳』のダメさ加減やブレッカー遺作のハンコックの奇跡的な演奏(トラック1)メルドーの健闘ぐあい(トラック2)、というふうに耳の焦点があうような心持ちになるようではないか。

現代音楽の作曲家山本裕之の『カンティクム・トレムルム』を聴く。
ここまで冷徹な語法フェチに聴こえるならおじさんは許す。表現したい内面とかエキゾチズムとか生きざまとか孤高も崇高もないのだ。それぞれの楽器が記譜法に従って響くとき、演奏者のアーティキュレーションという操作できない要素も折り込み済みにして、アンサンブルは成立するか/しないかの分岐点をミクロに探査するかのようなのだ。ある意味、実験くんというか。生楽器だけを用いている厳しい試み。

どうでもいいがおいらは寝る。

夏になると薪能(たきぎのう)■というものがあるのか!

04月29日(火)
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