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コバルトの静かな広島生活日記
by コバルト
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■ことばのちから
昔、ある女性が私に言ったことば
「わたしは、まわりの人たちに生かされている。」
だから、いまのわたしがあると。彼女の生きてきた人生、そして、この言葉の意味については、ずいぶん昔に、この日記で書いたことがあるので、もう書きませんが
僕は、この女性とであったことで人生が大きく変わった。
この言葉に、救われた
どんなつらいことがあっても、絶望の淵に立たされても、
私は生きているのではなく、生かされているのだ。
まわりの友人、家族、恋人、そんなみんなに生かされている
死ぬなんて、できないと。
この女性のようなすてきな人には、もう出会えないだろうな
(もちろん、とても美しい、そして天真爛漫で、だれとでも、わけ隔てなく仲良くできる人でしたが・・・)
正直なところ、僕は、この人のようになりたいと思って、
いままでずっと生きてきた
これからも、自分の目標となる人。
笑顔を忘れて、とがった考え方しかできず、悩んでばかりで、暗く、
人づきあいもままならなかった私が、
つらいときも、悲しいときも、笑顔だけは忘れないように
もっとやさしく、人を許して、
気を長くして、おおらかにと。
なにより、なにがあっても、ひたむきに人を愛して、ひたむきに、強く生きる。
ちなみに、その女性の言葉で、再び「学ぶ」ことを選んだ
本当に、人生を変えてしまった
いつも、なにか人生に迷いを生じたとき、自分が否定されて自信をなくしたとき、この女性のことを思い出す。
いま、僕の周りの人間関係は、ありがたいことに、かなり広くて
いろんな人が周りにいますが、どんな出会いにしても、なにかしら感謝の気持ちだけは失わないようにと思う。どんなときでも、ありがとう、ごめんなさいの言葉は忘れないように。それは、人としてのルールだと思うし。自分なんか不器用な人間ですもの。相手に嫌な思いをさせてしまうことだってある。そんなとき、僕は素直に謝れる人ではありたいと。ありがとうという気持ちは出し惜しみしないようにと。
偏った考え方になりそうなときは、
そうやって、ワンクッションおいて。
そういうことを思いつつ、自分を冷静にと。
最近、私のもとには、たくさんの知人、友人たちから、お便りをいろいろいただく。
先日も、暑中見舞いということで、茶道の恩師の先生から、達筆なお便りをいただいた。
なにげない季節の言葉と、気遣いの言葉。だけれど、それがとてもうれしい。
ただ、ひとつ問題なのは・・・
ほかのメンバーによろしく伝えてくださいということ
ほかの茶道のメンバー・・・ふーむ
もう逢うこともないでしょうし。ちと交流できないわけもあって(笑)
どうしようかなぁ。
昨年、先生のご自宅・お茶室へお邪魔したとき、「はやくいい人を見つけてつれてらっしゃい」と言われましたよね。そういえば。それは実行できずにいる。
ときに、旅の途中に、お便りを出してくださる方が、とても増えた。
風景印や、ご当地のはがきで、そのときの旅の様子がリアルタイムに伝わる感覚。それはうれしいものです。
普段ね、しゃべることで、意志を伝え合うことばかりになっていると、言葉ひとつひとつの大切さや、本来の日本語の美しさを忘れたりしてしまいがち
話すことは、ときに感情的になって、いろいろ厳しいことを相手に言ってしまったり。自分ばかりの会話になってしまったり
逆に、相手の目の前で、リアルタイムで、感情や表情をこめて伝え合う
それは、そのときだけ。そのときを大切にできるのは、直接話すことの大きな特権
手紙やお便りって、そこの点で違いが大きい気がする。
冷静になって、ほんとうの気持ちやこころを、美しい日本語で、季語など交えて、静かに言葉を綴って、便箋やはがきに託す。
そういうのも、きっと忘れてはいけないことなんじゃないかなと思います。
わたし、もっと本音をぶつけ合って、ときに喧嘩してもいいから
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09月13日(火)
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