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羽積風narration
by 汐 楓菜
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■『ジーキル博士とハイド氏』(スティーヴンソン・著)
『ジキルとハイド』を今更ながら初めて読みました。
「ジキルとハイドのように」という言葉はよく使う(?)けれど、
そういえば読んだことないなぁ…と思って。
ん〜…
人はそんなに悪を秘めていないと思う。
最近の少年犯罪などに関する意見で、よく
「近頃の子供は、幼いうちに
虫の羽根をちぎるとか蛙に空気を送り込んで破裂させるとか
そういう遊びをちゃんとやってきてないから、
いい歳になっても“命を奪う”というのがどういうことなのか
という感覚が掴めずに、安易に人を殺したりするんだ」
というようなものを見かけるのですが。
何言ってんだ、ばか。
虫やら蛙に対してそんな残虐なことをできるやつこそ、
いい歳になったら平気で人間を殺せるようになるんじゃないのか。
(↑統計はそんなこと示してやいないだろうが)
上記で言うところの虫や蛙というのは、
殺人の疑似体験としての扱いでしょう。
小さな疑似体験によって大きな殺人を食い止めることが
できるというのなら、ゲームはどうなんだ。
「簡単に人を殺せるゲームが悪影響」
というのも、よく出た意見ですが。どっちなんだ。
そのゲームの死ぬ場面がとてもリアルに残虐なスプラッタなら、
疑似体験として機能するので、殺人には至らないということか?
…はぁ?何言ってんだ、私。
てな感じでわけがわからなくなってきたのですが、
何が言いたいのかというと。
“人間は底に残虐性を秘めているものなんだ”
ということが正当化されて書かれているように読めて、
この本からは嫌な感じを受けた。ということです。
“みんな本当はメチャクチャに壊したり汚したりしてしまいたい
欲望を持っているけれど、それを理性で押さえて生きているのだ”
なんてことにされちゃうと、困るわけです。
もし、仮に。
人間がみんなそういう欲望を底に持っているのだとしたら。
・小さな疑似体験をすることで命を奪うことの嫌悪感を体感し、
大きな殺人に至るのを防ぐ
・小さな疑似体験を積み重ねることで命を奪うことの快感を得、
欲望は徐々に大きくなり、やがて小動物、そして殺人に至る
・小さな疑似体験を積み重ねることで欲望を小分けに発散し、
大きな殺人に至るのを防ぐ
・小さな疑似体験を全く犯さず、欲望を根本から断ち切る
・小さな疑似体験を全く犯さず、
ある日欲望を大爆発させて突然大きな殺人に至る
といった、いろんな可能性を孕んでいるわけです。
人はそんなに悪を秘めていないと思う。
…というようなことが、この本を読んで汐が思いめぐらせたことでした。
ちっとも書評になってないし。支離滅裂で申し訳ない。
09月04日(木)
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