ID:73399
羽積風narration
by 汐 楓菜
[75436hit]
■娯楽としての殺人
母親にホラーめいたメッセージを携帯に残され、撃沈。

↑こういう所で咲いてる小さな花を見るとつい「健気だなー」と
思ってしまう自分は結構平凡な感覚の持ち主だと思う今日この頃デス。
…いや、別に悪いことじゃないんだけどさ。
*** *** ***
月刊誌『ダ・ヴィンチ』で、しりあがり寿さんの
『オーイ・メメントモリ』という連載があります。
“死”についての連載で、もう第44回になるのですが
先月と今月はとくに心にズンと来ています。
戦争のことがあって、作者の心が動いているからか
読み手の私の心が動いているからか…。
今月の主人公はTVゲームの真・三国無双をしながら、
人間誰しも破壊衝動のようなものを持っており
みんな自分の中に“殺人者”がいる、ということを自覚します。
そして、TVゲームの中で大量殺人をしてスカッとしている自分は
そうすることによって自分の中の殺人者の部分を
育てているのか・なだめているのか…と考えます。
汐は娯楽としての殺人は嫌いです。
時代背景に翻弄されて実際に戦地へ行って人を殺す兵士、と
格闘ゲームやサバイバルゲームを好んでする人、では
私は後者の人間の方が嫌いなのです。
自分の生活のために海に出る漁師、と
釣り上げる瞬間の喜びを求める趣味の釣り人、では
やはり後者の人間の方が嫌いなのです。
それは理屈ではないのだけれど、どうしても後者の人間は
昔から感覚的に心の奥で愛することができない。
格闘系のTVゲームを好む人や釣りが趣味な人の人口たるや
ものすごいものなので、どこかで愛せない人だらけなのですが(笑)。
まぁそれはしょうがない。そういうのは私の心が狭いのだとは思わない。
T.Kさんが日記で書かれていた、ピニャタを割ることができなかった
少女の話も私の頭を離れません。私も割れない側だったかもしれない。
命についての答えは、まだまだ出ていません。
単純に“命”を持っているものがすべて大切なのか
そうではなく“人格”や“感情”を持っているかどうかが問題なのか
その“身体の大きさ”や“人に近い形”に左右されるのか
小さくても“愛くるしさ”に影響されるのか…私にはわからないから。
もうすぐ夏が来て、私は何食わぬ顔で蚊を叩き潰すだろう。
05月10日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る