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「L.A.S.Ponder氏」の音楽カレンダー
by L.A.S.Ponder
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■「第九」 レニングラード国立歌劇場管弦楽団 オーチャードホール
見合い写真孫の顔まで想像し
柏原 柏原のミミ
毎日新聞万能川柳 2010年12月22日 東京朝刊
Nandatte Cantabile
2度だけ見合い写真を
見せられたことがありましゅ。
見合いの相手よりも
スナップ写真に写っている
妹さんの方がかわいらしかったので
これは結婚したらえらいことになると思い、
丁重にお断りしました。
もう30年近く前の話でしゅ。
モーツァルトは
下宿屋の
姉娘アロイジアにふられ
妹娘
コンスタンツェと結婚
ハイドンは
下宿先の
妹娘テレーゼに修道院に入られ
姉娘のアンナ・マリアと結婚して
大チョンボ。
恐ろしいお話でしゅ。。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%A9%E3%83%BC
夜勤を早めに切り上げ
ステージ衣装に着替え
大急ぎで帰宅。
さらに準備を整え
カミさんを拝み倒して
駅まで運んでいただく。
湘南新宿ラインで渋谷へ。。。
短い脚を高速回転させて
東急Bunkamura楽屋口へ。。。
15分近く歩いたはずなのに
左坐骨神経痛による
間欠性跛行は出現せず。。。
出欠をチェックされ
リハーサル室へ。
1階楽屋口から
地下1階リハーサル室まで
暗くて急な階段を
急降下。
客席は最高
楽屋は最悪。
経営者は
出演者を
河原乞食か大道芸人、
歌舞伎者くらいにしか
思ってないんでしょ。
もっとも現代の歌舞伎役者は
豪勢で奢り高ぶっているようでしゅがね。
大貧民のNandatte Cantabileは
「海老蔵する」金もないでしゅ。。。
今日明日は
耕友会+レニングラード国立歌劇場管弦楽団
第九演奏会
「第九」 レニングラード国立歌劇場管弦楽団
世界中に響き渡る「歓喜の歌」。
名門オーケストラ、入魂の「第九」が今年もあなたの胸を熱くする!
晩年、ベートーヴェンの机の上には、小さな文が飾られていた。
東方文学の中にその言葉を見つけ、気に入り、書き留め、日夜その文を見ていたという。
「われはいまここにある。われは、過去にありしすべて、また未来にあるすべてのものなり」
まったく耳が聞こえなくなっていた晩年のベートーヴェンが「第九交響曲」を作曲している間にも、
この言葉は彼に語りかけていた。
私たちが一年ごとに年末を迎え、ベートーヴェンの「第九交響曲」を聴くとき、
彼が気に入っていたというこの一文と同じような思いを抱く−
「今年もまた、わたしはいまこうして『第九』を聴いている。
いままでのわたしはわたしそのものであり、
やがてやってくる新しい年もわたしはわたし自身であるのだろう」と。
ベートーヴェンが敬愛する詩人シラーの『歓喜に寄す』に感銘を受け、
この詩に曲を付けようと思い立ったのが、まだ青年であった23歳のとき。
以来、その思いはずっと胸の奥深くに秘められていた。
そして、「第九交響曲」の終楽章としてそれは結実した。
ロマン・ロランによれば、「生涯の最後の重要な段階の大きな壁画のために、
いわば遺言のために」この詩が選ばれた。思い立った時から、実に31年の時が流れていた。
推敲に推敲を重ね、無駄をそぎ落とす一方、楽想の繰り返しにも熱い思いがこもり、
4人の独唱者と合唱を伴う大交響曲となった「第九」。
レニングラード国立歌劇場管弦楽団はこの感動大作を1997年以来、
毎年年末に日本で演奏してきた。今年で14年連続。
外国のオーケストラでこれほどのことをやってのけるオーケストラは他にない。
そして、毎年わたしたちは、レニングラード国立歌劇場管弦楽団の「第九」に大きな感銘を受けてきた。
同歌劇場で活躍する実力ある歌手を独唱者に配し、
日本の緻密でパワフルな合唱団を従えて、あなたの2010年を締めくくる。
だそうでしゅ。チラシの宣伝文句には頭が下がりましゅ。。。
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12月29日(水)
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