ID:71672
「L.A.S.Ponder氏」の音楽カレンダー
by L.A.S.Ponder
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■CD モーツァルト作曲レクィエム(ランドン版) ウィーン ・フィル ショルティ
9時半に出発する予定が
寝坊。

放蕩娘がごちゃごちゃ言うが
ともかく葬儀に遅刻するわけにはいかず
3人で出発。

11時20分
八溝会館到着

葬儀、告別式
こんなにも関係者がいたのか
と思うほどの盛況。
120席が用意され
100人以上が参列。

親戚、組内は半数以下でしょう。

弔電の披露でびっくり。

義母とは面識もないであろう
義兄の取引先から
数十の弔電が届いていましゅ。

火葬
火葬は八溝会館から離れた
火葬場へ移動して行われました。

大型マイクロバス一杯の
関係者が乗り込み
かなり離れた火葬場へ。。。

火葬と冷却で約80分。

その間に昼食の弁当が出されました。
車の運転をしない人たちは
早くもビール、日本酒で
盛り上がっていましゅ。

昨夜の納棺の儀の時
五本指の靴下に大穴が開き
一同に笑いをこらえさせた
長老の一人が
昔の記憶をもとに
Nandatte Cantabileに語りかけてきましゅ。

おまえは博士だから
講演と執筆に引っ張りだこで
左団扇だろうと。。。

一族の中
大学院修了で学位を持っているのは
Nandatte Cantabile一人なのが
こんなところで吹き出すとは
思いませんでした。

講演も執筆も断り続けて
今では全く依頼がないと言うと
いかにも惜しいと言う感じで
呑みに戻って行かれました。

火葬が終わると
遺骨を骨壷に収め
寺へ移動でしゅ。

この後
墓地に直行し納骨と知り
コートを八溝会館に忘れた
Nandatte Cantabileは
会館に戻るよう要請。

会館に戻ると
Nandatte Cantabileのみならず
何人もが車にコートを取りに戻ったり
トイレに行ったり。。。

Nandatte Cantabileのわがままも
人の役に立ちました。。。

初七日の法要
会場:曹洞宗泉渓寺

すばらしいお寺の
寒い本堂で
早くも初七日の法要でしゅ。

寺の本堂にもかかわらず
椅子席なので助かりましゅ。

昨夜と同じ
ご住職のありがたい読経。

通夜の読経では
ついつい睡魔に襲われ
帰路、どら息子に叱られた
Nandatte Cantabileでしゅが
この時はお目目ぱっちりでしゅ。

初七日の法要が終わると
親族だけで
カミさんの実家近くの
墓地へ。。。

坊様も葬儀社の社員も来ず
親族だけで納骨でしゅ。

本家、分家、近所の家々の墓が
山の斜面に並んでいましゅ。

曹洞宗のほか
日蓮宗(日蓮正宗?)の墓もあり
なんだかよくわかりません。

納骨の儀も
誰も正確な手順、段取りを知らず
物知り顔の親族が
バールで墓石を持ち上げ納骨し
焼香でしゅ。

雪の舞う中での納骨
コートを取りに戻って正解でした。

十年ほど前の
カミさんの祖母の葬式では
雪こそなけれ
寒風の吹きすさぶ
極寒の日で
コートを忘れたNandatte Cantabileは
骨まで凍えたのでした。

納骨が終わると
八溝会館に戻り
精進落とし。

親戚と組内が残り
盛大に精進落としでしゅ。

葬儀の最中
涙ぐんでいた
カミさんや義妹たちも
愉快に盛り上がりましゅ。

およそ湿っぽい雰囲気でないのは
おしゃべり好きで明るい故人の
人徳でしょうか???

放蕩娘とどら息子は
23年前に独立して事業を興し
それなりに成功した義兄の話を聴いて
真剣に学問する決意をしたようでしゅ。

Nandatte Cantabileは
あるご夫人に
円形脱毛症を見破られ
しばらくは禿げの話で
大いに盛り上がりました。

カミさんの親族は
地味で暗い栃木県人とは思えぬ
愉快で明るい人が多いでしゅ。


それにしても
盛大な葬儀でしゅ。

Nandatte Cantabileも
十万円の香典を包みましたが
一体いくらかかったのでしょうか?

支払いは裕福な義兄が中心となって
払うのでしょうが

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02月13日(土)
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