ID:71672
「L.A.S.Ponder氏」の音楽カレンダー
by L.A.S.Ponder
[262788hit]

■筑井先生のスケッチブックV
オケ退場後も席を立たず
合唱団退席時には
オケ退席時を上回る
盛大な拍手。

合唱団関係者は
ほとんどいないであろう
お客さんの拍手は
お世辞ではないでしょう。。。

終演後
リハーサル室に全員集合。。。

松下先生のお言葉、
技術スタッフ
運営スタッフの紹介と拍手。

楽屋に戻り
着替え、
一般参加者には
ギャラの支給。

1ステージ2000円。
Nandatte Cantabileは
5ステージ出演で合計10000円。

莫大な交通費の一部にも足りませんが
ただで松下先生、蟹江先生の
濃厚なレッスンを受けられて上
レニングラード国立歌劇場管弦楽団の
伴奏で第九、その他の名曲の数々を
歌えたのでしゅから上等でしゅ。

お金には代えられない
深い満足感でしゅ。

松下先生、蟹江先生
耕友会はじめすべての関係者の皆さんと
参加を許してくださったカミさんに
深甚の感謝。。。

2009年12月20日から12月30日までの
11日間で7回の演奏会出演。。。

12月20日宇都宮音楽集団クリスマスチャリティコンサート 
    :栃木県教育会館(この日は第九ではありませんでした)
12月22日レニングラード国立歌劇場管弦楽団クリスマススペシャル
    :オーチャードホール
12月23日佐野市民合唱団”Voice”+群馬交響楽団佐野第九演奏会
    :佐野市文化会館
12月24日レニングラード国立歌劇場管弦楽団クリスマススペシャル
    :オーチャードホール
12月28日レニングラード国立歌劇場管弦楽団第九演奏会
    :横浜みなとみらいホール
12月29日レニングラード国立歌劇場管弦楽団第九演奏会
    :東京オペラシティ
12月30日レニングラード国立歌劇場管弦楽団第九演奏会
    :東京オペラシティ

どう考えても
50過ぎの爺には
やりすぎでしゅ。。。


2009年の第九は
2月14日第26回栃木女子高校芸術発表会
   :栃木市文化会館大ホール 第4楽章のみ
に始まり
12月22日、23日、24日、28日、29日、30日と合計7回。
1990年以来
多分新記録かタイ記録でしゅ。

そういえば先日カミさんに
「あんたそんなに第九やってたら死んじゃうかんね」
と嬉しそうに言われました。

合唱バカで
ガチガチのルードヴィヒ信奉者の
Nandatte Cantabile
第九歌って死ねれば嬉しいでしゅし
Nandatte Cantabileが
第九歌い過ぎで死んじゃうと
カミさんも嬉しいようなので
やっぱり二人は
一心同体なのでしょう。。。

実は
12月23日
ほんとに死と隣り合わせだったのでしゅ。

第1楽章の前からステージ上に
並んでいたのでしゅが
Nandatte Cantabile
例によって
最後列ソプラノ寄りの席でした。

ところがベンチには背もたれがなく
後の反響板までは約2メートル、
背後の下は平舞台まで約3メートル。

うっかり居眠りして
背後に転落すれば
死んでしまうのでした。

死んじゃえば
二人ともハッピーでしゅが
四肢麻痺で寝たきりになったら
カミさんに捨てられるので
悲惨でしゅ。

で、当日は
眠って転落死しないように
体中をつねったり強く押して痛み刺激を加えたりで
眠気を払うのに必死でした。

それをカミさんが
見咎めて
「ステージ上で
フラフラするんじゃない!」
と終演後
こっぴどく叱られました。

そう言えば
往年の「愛の妙薬」歌手、故・山路芳久さんは
毎年暮れに日本に出稼ぎに戻り
1988年12月は全17回の「第九」の
超過密スケジュールをこなしていましたが、
この年10回目の第九公演を終えた12月19日夜、
急性心筋梗塞で頓死しちゃいました。
享年38でした。

第九歌い過ぎての死、
ちょっぴりうらやましいでしゅ。



さて、耕友会第九解散後
この日のメイン・イヴェント
耕友会第九打ち上げ

[5]続きを読む

12月30日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る