ID:70753
えすぱっ子
by ひかる。
[1244710hit]
■選手紹介 1991年度組
ちなみにJrユースでの基本布陣は、こんな感じ。
中1 (2004): 中2 (2005): 中3 (2006):
−−−−−−関口−−鍋田−−−−−− −−−−−−関口−−櫻井−−−−−− −−−−−− 畑 −−鍋田−−−−−−
−−西川−−−−−−−−−−加藤−− −−−−−−−− 畑 −−−−−−−− −−山田−−−−−−−−−−柴原−−
−−−−−−滝戸−−青木−−−−−− −−西川−−山田−−青木−−加藤−− −−−−−−荒井−−青木−−−−−−
−−荒井−−山崎−−植野−−小澤−− −−−−小澤−−山崎−−植野−−−− −−深澤−−山崎−−小澤−−加藤−−
−−−−−−−−水野−−−−−−−− −−−−−−−−水野−−−−−−−− −−−−−−−−長島−−−−−−−−
柴原、深澤が2年生。水野・荒井・滝戸・西川・櫻井が清水東、加藤が藤枝明誠に進んでいる。
▼山崎 教史 1991.04.14生 176cm/63kg CB 「ノリ」
静岡JFC/太陽FC (服織西小)→清水JY、※U-16/14NTC・静岡選抜 (06年)、U-14NTC (05年)
06年度清水JY主将。小学生の時に静岡JFCとして、全国の舞台を経験している。入れ替わりの激しかったこの学年のチームにおいて、常に主戦を張っていた希有な選手の一人。ナイキカップ出場権こそ逃したが、アイビーカップ、群馬チャレンジ、県クラブ新人戦、ジュビロカップと各種大会で優勝を飾る。3年夏のクラブ選手権は怪我で決勝しか出られなかったが、それを除けばDFリーダーとして不動の存在であった。
中1で既に172cmという立派な体格を誇っていたが、この頃からサイズに頼るプレーは少なく、クレバーなDFだった。確かな読みと抜群のスピードがあり、彼が後方でカバーするかしないかで、チームの安定感がまるで違う。だが、後方で余って楽をするような選手ではなく、むしろ前に出て積極的にボールを刈り取る守備が印象的。この学年は縦にパスを展開する力がある分、相手にも縦に速攻を食らう場面が多かったが、山崎がカウンターを未然に防いでいた。奪ってからの判断、とりわけ持ち出しとパスを出すタイミングの判断が素晴らしく、キックの精度も高い。日本代表CBを数多く輩出した某高を応援する某女史曰く、誰か1人欲しいなら山崎なのだそうだ (笑)。
課題は意外と1対1に脆いところ。なまじスピードがある分、マークする相手を離すきらいがあり、空中戦で競り負けたり、ドリブルでスピードに乗られて振り切られたりする時がある。ユースに昇格し、日頃対戦する相手のレベルが上がるだけに、今後は一人一殺、潰すべき相手を確実に潰す力を磨いていきたい。サイズでの優位性は失ってきたが、運動能力に恵まれているだけに、泥臭い守備もできるはずだ。
▼鍋田 亜人夢 1991.05.01生 173cm/58kg FW 「アトム」
清水FC/清水第八SC (飯田小)→清水JY
※U-15J選抜・クラ選優秀選手・U-16/14NTC・静岡選抜 (06年)、U-14日本選抜 (05年)、U-13エリートP (04年)
U-12日本選抜・U-12NTC東海 (03年)
小学生時代に清水第八のエースとして、監督である父と共にバーモントカップで全国3位。U-12日本選抜としてその頃から有名だった鍋田は、青木・畑・長島 (翌年には更に深澤・成田・三渡洲) と共に、鳴り物入りで清水JYに入団した。優勝確実と思われたさなるカップ (ナイキカップ予選) こそ逃したが、その頃から1学年上に合流。2年秋口には池上を抑えて、前田とスタメン2トップを組むようになる。中3では夏のクラブ選手権で7得点の活躍、ユースにも呼ばれて出場機会を得た。一方でJFAや静岡県など、各種選抜チームの常連になっている。
[5]続きを読む
04月02日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る