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えすぱっ子
by ひかる。
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■データ集 2000年度
Jユース杯では監督交代により、4−3−2−1に変更されており、これによって高木・森山の両SBが上がれずにシュート数が激減、一方ボランチになった村松は、積極的にゴール前まで顔を出すようになった。10位の高山も1試合1本弱のシュートを放っており、CBでセットプレーにも参加しなかった渡邊を除けば、あらゆるポジションの選手が次々と攻撃に参加し、シュートを狙っていたのが、大きな特徴として挙げられる。


▼90分間あたり得点数 ※( )内は通算得点、[ ] 内はシュートあたり得点率
 1位:長沼 圭 0.85点(5点)[41.7%]
 2位:高木純平 0.45点(3点)[37.5%]
 3位:日高拓磨 0.43点(2点)[18.2%]
 4位:仁科克英 0.40点(2点)[40.0%]
 5位:塩澤達也 0.38点(1点)[25.0%]
以下、高山 (0.35)、村松 (0.30)、浩太 (0.25)、隼人 (0.23)、森山 (0.16) と続く。

ゼムノビッチ監督のオートマティズムでは、ボランチからの大きな展開で巧みに左右に配球を散らした上で、アウトサイドをアイトサイドMFとSBがFWと絡みながら崩すこと。その後、センタリングを中央の長身CFか、逆サイドに飛び込むアウトサイドMFに合わせる形が、徹底されていた。そして、具体的にフィニッシャーとなったのが、得点の上位を占めた、左の仁科、中央長沼、右の日高である。長沼と組んだもう一人のFWである塩澤は、その運動量を生かしボランチ−アウトサイド−前線を有機的に結びつけるべく、動き回ることを期待されていた。

日高と仁科の違いは、得点意識の差と考えて良い。日高はダイナミックな飛び込みで、あらゆるセンタリングをシュートに結びつけ、また走力を生かした単独突破からのシュートも持っていた。また、長沼は豪快かつ的確な空中戦で前線に君臨したが、独力での得点の形に乏しく、それが相対的なシュート数の少なさ=シュート得点率の高さとして表れている。
また、オートマティズムが機能しない(攻撃の形が作れない)拮抗した状態において、実力を発揮したのが、高木や塩澤の個人技、そして隼人のセットプレーである。特に高木は、Jユース杯こそ組織に縛られて低パフォーマンスに終わったものの、ゼムノビッチ監督の下では、アウトサイドで起点になる役目を務めつつ、自らの武器であるドライヴミドルに磨きを掛けていた。中長距離のシュートが多くを占めながら、37.5%というシュート成功率は、純粋に驚き。
左足の隼人を中心に、右足は深澤、長い距離では高木・村松・森山らが務めたセットプレーも成功率が高く、長沼・高山らが貴重な得点を稼いでいる。

予選を含めたJユース杯では、大差のついた試合も多く、通算48得点13失点。得点者は、長沼11、日高7、高木5、塩澤5、仁科5、村松3、高山3、隼人2、浩太2、深澤、河合、阿部、枝村、OG。よりオートマティズムが機能し、簡単に得点を奪えていると言えるか。


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03月31日(土)
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