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ビバ彦♂日記
by ビバ彦
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■10.26(日)姫路 松浦亜弥姫路公演
朝7時に起床して、昼過ぎ姫路入りのつもり……が、就寝6時。就寝時に薄々感じ
ていた曖昧な絶望と諦念が、8時半過ぎの起床時には明澄な開き直りへと転化する。
シャワー、熱いシャワー。この時点で姫路着が2時前後になる事は確定。12時過ぎ
に姫路駅で待ち合わせた“姫路クン”(姫路出身)への贖罪のため、せめて駅まで
はタクシー。
のぞみに乗り込み、鯖寿司をビールで流し込みながらヲタ読書。読みさしの、がなりX
つんくの「てっぺん」と矢口「おいら」。前者では様々な節回しに既視感を覚える。
曰く「(モーニング娘。は)ジャイアンツ、宝塚」、「松浦亜弥は天才」。一年前
には妄想として笑われていた誰かの発言だ。物事を創る大人の感覚からいけば至極
妥当な発言なのか? 分からない。気になったのは、つんく氏の本だからつんく氏
個人の自我が強調されるのが当然だとはいえ、それにしてもつんくと娘。、ハロー!
の距離をうかがわせるニュアンスの箇所が多かったような。7月の代々木ハロー!
公演での安倍なつみ娘。卒業宣言のビデオでは、つんく氏の娘。ひいてはハロー!
に殉じる覚悟を勝手に感じ取ったのだが……。
矢口真里「おいら」は、ある意味では娘。関係の著書の中で最も異色な本ではない
だろうか。自我、パーソナリティーの誇示は殆どなし(例えば、同時期に出版され
た「99の後藤真希」――これはこれで味わい深い著書ではある――と対比せよ)。
普通人の目線で娘。を語る娘。。自らを“中間管理職”と語るモーニング娘。。
娘。であるという例外的な特権性を、一般人の凡庸な視線から報告する矢口。その
際に、例えようの無い幸福感が立ち昇るのだ。例外と凡庸の往還がもたらす至福。
これはもしかして“4位狙い”“庶民派”を自称するつんく美学の継承? 分らない。
姫路には予定より2時間半遅れて、2時過ぎに到着。予約だけしていた帰りの高速
バスのチケットを換券してからヲタ的姫路観光。初めての姫路ではあったが、もち
ろん姫路城はスルー(笑)。姫路君の車で、松浦亜弥がデビューまで過ごしたという
姫路の山側をあてどなくドライブ。
「学校まで信号がひとつ(ふたつ?)しかなかったんですよ〜!」と彼女自身が
発言していた風景を実際に車窓越しに眺める。山に挟まれた田舎の国道。燃える
ような盛秋の紅葉が目を奪う。が、この風景と“松浦亜弥”というタレントのイメ
ージがさっぱり焦点を結ばない。所謂「聖地巡礼」的な観光――筆者は割と経験し
た方だと思う――をすると、その土地に足を踏みしめた瞬間に、当該タレントを巡
る過去の膨大な情報が頭の中を駆け巡り、タレント像を再構築、更新するのが常な
のだが、今回はそうした目の前で受け取っている情報と過去の情報の刷り合わせが
起きない。もちろん、その先の刷り合せによる新しいタレント像の構築というのも
全然起こりはしない。ラジオで発言していたアレがココか、などという瑣末な
ディテイルの確認は幾つも出来てたが、そうした細部が統合される全体のイメージ
というのがさっぱり掴めない。多分、彼女の才能はこの風景とは全く無関係なのだろう。
あるいは無関係な部分にのみ、筆者が反応しているというべきか。分からない。
ちなみに姫路クンによれば、姫路の若者気質は相変わらず“ヤンキー天下”だそうな。
ヤンキーが偉くてもてる世界だそうで。ヤンタン(さんま)でお馴染みの
「ダボォォォ、ボケェェェ」は流石に二十代以下は使わないが、上の世代では
デフォルト、その言葉の汚さには姫路の若者でも辟易とするとか。
松浦ライブ夜の回の公演前にとみこ氏と落ち合い、会場の姫路市文化センター近く
のココイチでちょいと打ち合わせ。また、面白い企画が持ち上がっているそうな。
とみこ氏は結局ライブは見なかったよう。御足労をおかけした。
会場の姫路市文化センターに入ってすぐF4弟に遭遇。当たり前のような顔で後ろ
から入っててた(笑)。しばし歓談後ホールに入り席に着く、と北海道のN君と遭遇。
当たり前のような顔で挨拶(笑)。群れているヲタさんたちを眺めるのは大好きだ
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11月01日(土)
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