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ビバ彦♂日記
by ビバ彦
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■「色っぽい女〜SEXY BABY〜」
カン梨華の新曲「色っぽい女〜SEXY BABY〜」を聞く。
つんく♂Pの娘。関連楽曲としてはヒサブリに引っかかりがない作品と感じた。一応
十回以上丹念に聞いたので、初期の印象としては変わる事はないと思う。
ここ数年、つんく♂Pの娘。関係作品は俺にとって常に既知と未知がせめぎ合う音楽
的経験の拡張の場だった。「こう来たか?」「しっかしベタやなー」「こんな使い
方もあるのか!」「元ネタなにコレ!」云々。
が、今回の作品では自らの音楽経験あるいは外的な音楽状況に因を求めさせるだけ
のエニシングは遂に見当たらなかった。

この質感は何か?つんく♂P自身の作品(シャ乱Qやつんくビ〜ト)を聞いたとき
の感触に近い。解きほぐすと長くなるので要点だけ。以前から感じていたことだ
が、つんく♂という音楽家の作品は、作曲者と実演者の間に距離がないとミラクル
が起きない傾向があると思う。つまりシャ乱Qやつんくビ〜トのような自作自演作
品だと殆ど響いてくるものがないのだ(少なくとも俺にとって)。「隔たりと意味
産出作用」なんて古色蒼然としてるとは思うけど、そう感じてしまったものは仕様
がない。さらに言うとその距離・隔たりの中でこそ、つんくはつんくであり続ける
様な予感さえする(「ASAYAN」における独特の歌唱指導を想起せよ)。

話を「色っぽい女〜SEXY BABY〜」に戻す。
距離・隔たりのなさを閉じた印象と置き換えれば、今作の引っ掛かりのなさはDTM色
の強い作品が多い編曲者、鈴木DAICHI秀行の手による仕事であることも大きく影響
しているのかも知れない。演奏は生で!なんて主張をするほど素朴ではないけど、
しかし鈴木DAICHI秀行編曲作のテクスチャーの等質性は指摘しておくべきだと思
う。もちろん色々な楽器の音色を駆使しているが、まとまりすぎでどうにも閉じた
印象が強く、聴取経験を反芻させるべき取っ掛かりがない。

論点がズレまくった。まぁ批評じゃなくて飽くまで感想文ということでご了承下さ
いな。
C/Wの「女の子の取り調べタイム(New Version)」はアルバム収録曲のカントリー
風ヴァージョン。「初めてのハッピーバースディ! (country version) 」みたい
なもんで、こちらは可もなく不可もなし。

なんか妙に鬱な文体だな。まぁ、いつも通り自主洗脳して来週の今ごろは「カ
ン梨華の新曲サイコー!と騒いでいますよ(笑)。
04月06日(土)
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