ID:60769
活字中毒R。
by じっぽ
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■「正しさ」への同調圧力によって、「正しい」ことをするべきではありません。
『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』(高橋源一郎著・河出書房新社)より。

(高橋源一郎さんが、2011年3月21日にツイートされた「『正しさ』について――『祝辞』」の一部です)

【あなたたちの顔を見る最後の機会に、一つだけ話したいことがあります。それは「正しさ」についてです。あなたたちは、途方もなく大きな災害に遭遇しました。確かに、あなたたちは、直接、津波に巻き込まれたわけでもなく、原子力発電所から出る炎や煙から逃げてきたわけでもありません。
 けれど、ほんとうのところ、あなたたちはすっかり巻き込まれているのです。なぜ、あなたたちは「卒業式」ができないのでしょう。それは、「非常時」には「卒業式」をしないことが「正しい」といわれているからです。でも、あなたたちは納得していませんね。
 どうして、あなたたちは、今日、卒業式もないのに、少し着飾って、学校に集まったのでしょう。あなたたちの中には、少なからず疑問が渦巻いています。その疑問に答えることが、あなたたちの教師として、わたしにできる最後の役割です。
 いま「正しさ」への同調圧力が、かつてないほど大きくなっています。凄惨な悲劇を目の前にして、多くの人たちが、連帯や希望を熱く語ります。それは、確かに「正しい」のです。しかし、この社会の全員が、同じ感情を共有しているわけではありません。
 ある人にとっては、どんな事件も心にさざ波を起こすだけであり、ある人にとっては、そんなものは見たくもない現実であるかもしれません。しかし、その人たちは、いま、それをうまく発言することができません。なぜなら、彼らには、「正しさ」がないからです。
 幾人かの教え子は、「なにかをしなければならないのだけれど、なにをしていいのかわからない」と訴えました。だから、わたしは「慌てないで。心の底からやりたいと思えることだけをやりなさい」と答えました。彼らは、「正しさ」への同調圧力に押しつぶされそうになっていたのです。
 わたしは、二つのことを、あなたたちにいいたいと思っています。一つは、これが特殊な事件ではないということです。幸いなことに、わたしは、あなたたちよりずっと年上で、だから、たくさんの本をよみ、まったく同じことが、繰り返し起こったことを知っています。
 明治の戦争でも、昭和の戦争が始まった頃にも、それが終わって民主主義の世界に変わった時にも、今回と同じことが起こり、人々は今回と同じように、時には美しいことばで、「不謹慎」や「非国民」や「反動」を排撃し、「正しさ」への同調を熱狂的に主張したのです。
 「正しさ」の中身は変わります。けれど、「正しさ」のあり方に、変わりはありません。気をつけてください。「不正」への抵抗は、じつは簡単です。けれど、「正しさ」に抵抗することは、ひどく難しいのです。
 二つ目は、わたしが今回しようとしていることです。わたしは、一つだけ、いつもと異なったことをするつもりです。それは、自分にとって大きな負担となる金額を寄付する、というものです。それ以外は、ふだんと変わらぬよう過ごすつもりです。けれど、誤解しないでください。
 わたしは「正しい」から寄付をするのではありません。わたしはただ寄付をするだけで、偶然、それが、現在の「正しさ」に一致しているだけなのです。「正しい」という理由で、なにかをするべきではありません。「正しさ」への同調圧力によって、「正しい」ことをするべきではありません。
 あなたたちが、心の底からやろうと思うことが、結果として、「正しさ」と合致する。それでいいのです。もし、あなたが、どうしても、積極的に「正しい」ことを、する気になれないとしたら、それでもかまわないのです。
 いいですか、わたしが負担となる金額を寄付するのは、いま、それを心からすることができなあなたたちの分も入っているからです。30年前のわたしなら、なにもしなかったでしょう。いま、わたしが、それをするのは、考えが変わったからではありません。ただ「時期」が来たからです。

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03月14日(水)
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